「二葉館周辺の偉人賢人たち」の展示も1000人を超す来館者を迎え、盛況のうちに無事終了しました。二葉館の皆様のご尽力に心から感謝致します。
 来館された方から二葉館の変遷を尋ねられる場面があり、この際、初心に戻ってこの地の歴史を見つめ直すことにしました。
 元あった二葉館(東二葉町、現白壁3)は名古屋台地の北端、台地縁に立地していたため、北側には田園が広がり(文化のみち二葉館衝立図)、その眺めは遠くの山並みまで遮るものもない素晴らしい立地だったそうです。
 この辺りは、縄文時代から近代に至るまでの数多くの遺跡物が出土している場所で、近くにある金城学園中学校には「長久寺貝塚跡」の標識があり、塀の中から顔を覗かせています。この碑に貝塚の文字があるように、この辺りまで海だったのでしょう。時を経て江戸時代には武家屋敷の一画となり、尾張藩家老竹腰家があったようです。明治維新後、禄を失った旧士族が居住地を手放し、白壁周辺は陶磁器生産と流通を担う新しい経済の礎となる地へと変わります。
 展示作品にも森村市左衛門、井元為三郎、春田鉄次郎など、これらを関係された方々の名前がありました。大正、昭和にかけては、川上貞奴が約2000坪に及ぶ広大な敷地に、和洋折衷の瀟洒な邸宅を建造し、「二葉御殿」として町の象徴となりました。お会いした古老のお話によると、その当時は、お正月に大きなお餅が配られたそうです。その後、変遷を経て、愛知万博の2005年2月8日(二葉の日)、現在地に大正9年創建当時の二葉館(現、文化のみち二葉館)が移築されました。
 元の場所は、現在マンションが建築されています。遺跡調査の結果、川上邸の土蔵の基礎や地下室が見つかっており近代建築の貴重な資料となりました。こうして辿ってみると、縄文時代から脈々と続く人々の営みと息づかいが聞こえてくるようです。二葉館は移築され、貴重な建造物として、将来の人々へ引き継がれていくことでしょう。文化財保護の大切さ、その意義を痛感した一連の事象でした。
(遺跡調査写真提供 名古屋市教育委員会。参考資料 名古屋市見晴台考古資料館冊子、文化のみち二葉館冊子より抜粋)
 文化のみち二葉館については、こちらからご覧下さい

CIMG8209衝立縮2 CIMG7835貝塚縮2
      二葉御殿(後方の赤い煉瓦)     長久寺貝塚標識(縄文時代の貝塚)
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     東二葉町 遺跡調査 北区全景        縄文時代竪穴式住居跡
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   江戸時代、武家屋敷建物 柱の跡        二葉御殿 地下室階段部
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      二葉御殿 地下室化粧煉瓦        二葉御殿 土蔵の基礎