「町中の山や五月の上り雲」内藤丈草。陽射しを和らげる薄曇り・・・神秘の杜の世界を求めて物部神社(筒井3)を訪ねてみました。ここは地下鉄桜通線・車道駅近くの交差点、桜通沿いの喧騒の地に存在しています。昔この辺りは尾張物部氏の集落の一郭であったようで、江戸時代には「石神堂」「山神」とも称され、ご神体は大石で、社伝によれば神武天皇が当国の賊を討ち、石をもって国の鎮めとしたといい、俗に要石、鎮撫石といわれています。境内を巡っていると狛犬を発見、ずっと近寄って奉納者を見ると、伊藤萬蔵と記載されていたので、少なからず驚きました。伊藤萬蔵は名前に因み1万の石造物寄進を発願したと語り継がれている人で、寺標や花生けなどでは見かけましたが、狛犬での刻印名は初めての出会いでした。興味津々で新たな狛犬探しに再挑戦したいと思います。

 物部神社、社伝に依れば延喜式神名帳愛知郡の部に物部神社とあり、国内神名帳には従三位物部天神とある「式内社」です。垂仁天皇の御代始めて社殿を造営、元禄中ごろ「尾張藩主綱誠」が荒廃した社殿を修復しました。当時は遠近の崇敬者により秋の山講、春の山講として特殊な信仰を厚くしていたようです。霊璽(れいじ)は一塊の大石で、根無し石とも伝えられ、全国に水戸、鹿島の三箇所に存在するといわれています。御祭神は、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)で大和朝廷の軍事・刑罰を司った物部氏の祖です。
 境内には、物部白龍社、物部大黒天、物部天神社、須佐之男社、秋葉社が祀られており、周囲の喧騒をよそに静かに存在していました。
 昭和に奉納されている狛犬は何故か口が赤いもので、以前ご紹介した狛犬とは何か違う感じです。どんな意味があるのでしょうか?

 萬蔵さんは、東片端周辺(元武家屋敷)に貸家が100軒以上あったとか、その昔この辺りで生活されていたのかと思うと感慨深いものがあります。萬蔵さんの新しい足跡が、この東区内で見つかるかも知れませんね。
 そんなこともあった後日、何気なく立ち寄った七尾神社(白壁2)で萬蔵さんが奉納された「あ・うん」の狛犬を見つけました。この像は物部神社と同型でした。 
 どちらにも年号は刻まれてはいませんが、同じ石工さんの作でしょうか。狛犬も奥が深く、もう少し調べてみる価値はありそうです。皆さまも寺院に存在する石との出会いを楽しまれてみては如何でしょうか。新発見があるかも知れませんよ。
(参考文献:式内物部神社御由緒略記、ひがし見聞録、伊藤萬蔵ほか)

   式内 物部神社     物部神社由緒記
    神秘の杜・・・   東風ふかば・・歌碑
  萬蔵さん奉納狛犬   本殿前の狛犬(昭和作)
     百度石    七尾神社狛犬一対