「あおぞらの きれいに過ぎたる 夜寒哉 小林一茶」

 秋本番・・澄み渡る秋空に、園内では初紅葉も見られまもなく色鮮やかな紅葉の季節になることでしょう。秋の花々が気持ちよさそうに爽やかな風にゆれています。大曽根口からの案内役は金木犀、目をつむっていても甘い香りが龍仙湖畔へと案内してくれます。

 ここは尾張徳川二代藩主光友が元禄8年(1695)に造営した御隠居所(大曽根屋敷・大曽根御殿)が元になっています。当時は13万坪という広大な敷地で、庭園内の泉水には16挺立ての船を浮かべていたと言われており、尾張の殿様の豪華さが窺えますね。今回は、“勉学の秋?”に因んで「大曽根」について歴史を紐解いてみたいと思います。

 地名には様々な意味や歴史が刻まれていますが、大曽根は江戸期成立の町名で、当初は西春日井郡大曽根村と呼ばれていました。城下の大木戸外にあたり、大曽根口とも呼ばれた名古屋五口の一つに数えられていたようですが、今はその面影を見ることは出来ません。時代と共に“昔”が遠くなってきたことを感じます。昭和56年の住居表示により大曽根町は成立したようです。因みに現在の徳川園は、徳川町ですがこれは元尾張徳川家の下屋敷があったことから昭和6年に成立しています。

 大曽根の意味を紐解いてみると諸説あり「曽根」と呼ばれる地名は全国でも多く見られます。
①城下や市場から1里離れた地点につけられている
②曽根が城下・市場の端を著すことが多いことから名古屋城下の北東の口を示している
③河川の底根あるいは砂地のことを呼ぶことなどがあります。
 時々来園者の方から本当に1里?と尋ねられますが、是非実体験してみてください。実際に名古屋城までゆったり・・まったり歩いてみました、結構楽しいですよ。

 ただ・・昔の名前を辿っていくとそこにはどんな職業の人が住んでいたのか、生活があったのか一目瞭然ですが、今は公園にひっそり名前が残されているだけだったりします。昔を手繰り寄せる糸口にはなるかも知れませんね。今の時代だから出来る?!楽しみかも知れません・・・。
☆尾張地名考、大正名古屋市史、ひがし見聞録、徳川園パンフ、現代俳句歳時記他

 
  紅葉が始まって・・   絶妙な組み合わせ?!
   
  秋の七草(フジバカマ)  秋の香り(キンモクセイ) 
   
  シュウメイギク(秋明菊)   色の移り変わりが見事
   
   色づき始めたカエデ    ハクサンボクの赤い実