戦後70年の証を探す

各地で観測史上最長の猛暑日が続いていると、連日マスコミが報じています。暦の上では立秋も過ぎ、遠からず朝夕は涼しくなるのでしょうが・・・。夜になると、静寂の中で僅かに聞こえる虫の音、着実に季節は変貌を遂げているのです。
戦後70年の節目となる今年は、メディアや書籍などでも取り上げられる頻度も多く、忘れかけていた記憶に蘇るものも少なからずあります。真っ青な空に浮かぶ入道雲、射すような陽ざしを避け、日陰を求めナゴヤドームに向かいました。そのドーム総合案内所の横に、小さなプレートを見つけ、思わずその内容にびっくりしました。
今まで幾度となく足を運んで通り過ぎていたのに、全く気づかなかったプレートです。このドームは「三菱重工名古屋発動機製作所大幸工場跡」に建てられています。この場所は恰好の標的とされたため、重なる爆撃を受け、多くの人々が犠牲になられたこと、中には選手の方も特攻隊として亡くなられていることが記されていました。そして今、その場所で野球やコンサート、大規模な催し物などが出来ることへの感謝と共に、亡くなられた方々へのご冥福を祈る言葉が記されていました。

さらに、JR大曽根駅南口駐輪場の横に、殉職者慰霊碑を見つけました。これには、昭和20年4月の爆撃からお客様を救い、殉職された職員の方々の慰霊碑だと書かれていました。この横を今日も電車が走っています。

その昔、大曽根御下屋敷(注1,現徳川園)と地続きであったと、ご住職様から教えていただいた片山八幡神社があり、その石垣や、当時風光明媚で有名であった了義院(注2)には、今なお弾痕跡が残る鳥居や芭蕉の句碑がありました。
戦後70年目にあたる本年、あちこちに静かに佇む史跡を巡ってみるのは如何でしょう。

★  当会では、皆様のご要望に合わせた東区内のガイドを行っております。ご一緒に宝物探しの散策に出かけてみませんか。お問い合わせはこちらからお願いします。

CIMG4009ドームプレート CIMG3989慰霊碑
ドームにあるプレート 大曽根駅南 慰霊碑
CIMG3953石垣弾痕跡 CIMG3958石垣弾痕跡
石垣に残る弾痕跡 当時の様子が・・・
CIMG3945鳥居 CIMG3949釈迦
鳥居に残る弾痕跡 お釈迦様の胸に残る傷痕・・・

注1:元禄8年(1695)、尾張徳川家二代藩主光友のご隠居所。その後変遷を経て昭和6年十九代義親は大曽根邸の敷地の一部と建物を名古屋市に寄贈。建物は戦災で焼失している。
注2:こちらからもご覧いただけます。

東区文化のみち ガイドボランティアの会

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