時と川の流れ

 新型コロナウイルス菌拡散に伴い、当会の閉館も当面延長されることになりました。外出自粛もありますが各自が健康に留意し、皆様にお会い出来るようになった時、喜んで楽しいガイドが出来るよう“今”しなければならないことを辛抱強く、それぞれが創意工夫しているところです。

 HPも読み返してみると、その時々の貴重な出会いや有意義な学びが思い起こされ、ゆっくり振り返る貴重な時間を得ることができました。この産物にはちょっと感激です。

 皆様も懐かしい写真や本などを、この際ゆっくりご覧になるのも良いかと思います。楽しい懐かしい思い出が、新たな発見になり別世界に引き込んでくれることでしょう。

 現在の社会状況から私は趣向を変えて水音、野鳥、様々な草花を愛でながら、人との接触を避け矢田川の河川敷をゆっくり散策してみました。

 今まで川に思いを馳せることは殆ど無く当たり前に眺めておりましたが、ここにも歴史や大きな変遷のあることを改めて思い知らされました。

 矢田川の水源は瀬戸市海上(かいしょ)の森(2005年「愛地球博」開催)、下流は西区の庄内川に合流しています。この川はなかなかの暴れ川で江戸時代以降洪水が多発、特に明和4年(1767)の大洪水では流路が大きく変わってしまいました。
 大洪水以前、矢田川は守山台地の先端に位置した長母寺の南側を流れていましたが、洪水によって長母寺と宝勝寺の間を川の水が突破し、長母寺の北側に流路を変えてしまいました。凄い威力ですね!自然の力により川の流れは変わり、長母寺は守山区から東区に変わるという珍現象が起こりました。今では穏やかに流れ、往時の激動を想像するのは難しいかもしれませんね(昭和の初めの工事により現在の流路になった)。

 この川、江戸時代に日本一小さなハッチョウトンボが最初に発見された場所ですが、今は見つけることは困難のようです。ある日偶然に見つけられるかも知れませんから、それとなく探してみるのはいかがでしょう。
 ここでの「矢田川の花火」は有名だったようで「金鱗九十九之塵」にも掲載さていますし、朝日文左衛門の「鸚鵡籠中記」にも見物の様子が書かれています。2004年を最後に花火大会は終了しました。

 また、ガイドの一環として「長母寺」には幾度か立ち寄りましたが、木ヶ崎公園の草木、園内の木々や竹笹のささやきに癒され、フジ棚一人貸し切りで・・至福の時を過ごしました。今だから出来る学びのあることを知ったことは嬉しいことでした。皆さまも“今を大事に”してくださいね。(名古屋地図散歩、名古屋の街道をゆく、ひがし100年、東区の歴史参照)

木ヶ崎公園から北(奥が守山)    清新な木ヶ崎公園
 「やたかハはし」の標柱     公園を彩って
重要有形文化財・長母寺本堂 君が代に歌われる「さざれ石」
    青空に映えて   悠然と泳ぐ鯉のぼり

 

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