「東区文化のみちガイドボランティアの会」が名古屋市東区「文化のみち」の魅力を紹介します
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石造物

二葉館の歴史 「銘板を訪ねて」

 新しい銘板を発見しました。以前、遺跡調査(注1)が行われていた場所「旧川上貞奴邸(二葉御殿)」に豪奢なマンションが建ちました。その南西の角に銘板が建てられていることに、ある日会員が気づきました。さりげなく建つ銘板は、余程注意していないと見過ごしてしまいそうです。今も周囲にはまだ昔の面影を残す建造物もありますが、この地を訪れる度に周辺の様子が変わっており、少し残念な気もします。あまりの変貌に近づくことが躊躇(ためら)われていた一方、何処かで昔を愛おしむ気持ちが強かったのかも知れません。

 歴史を忠実に紐解くには、先ずは現況を確認することと思い出かけてみました。ありました、ありました、ひっそりと申し訳なさそうに据えられていました。想像していた貞奴さんのイメージとは、大きくかけ離れていますが、ここにその昔「二葉御殿」と呼ばれた2000坪以上の建物があったことが記録に残されており、少し安心しました。そして、現在「文化のみち二葉館(注2)」として、町並み保存地区の一画に、当時の面影を残した建物が残されています。洒落た建物は道行く人々を振り返らせ、一歩中に入れば当時の生活が目の前に浮かんでくるようです。この辺りは縄文時代から脈々と歴史を紡いでいること、そして場所は若干移動しているものの、当時を偲ばせる生活空間がそこにはあります。その時代に思いを馳せ、どうぞ「今とむかし」をじっくり味わってみて下さい。(写真①、②、③、④:名古屋市発行「旧川上貞奴邸復元工事報告書」から転載)
☆当会では、「火・木・土」の午前10時45分からと午後1時20分からの2回、ガイドを行っております。お気軽にお声かけ下さい。

@創建当時写真 T 二葉報告書 2旧二葉館
①創建直後の外観 ②旧二葉荘(円形部分が応接室)
二葉報告書 1創建当時の煉瓦塀 二葉報告書 3庭T
③創建当時の煉瓦塀 ④旧二葉荘(庭)
@CIMG4132 #120511b_2ガイド二葉
「旧川上貞奴邸跡」銘板 ガイドの様子

注1:こちらからご覧ください
注2:文化にみち二葉館の詳細はこちらからご覧下さい

銘板を訪ねて (御下屋敷、カトリック布池教会)

前回の東寺町散策研修会の帰途・・地下鉄新栄駅前(ヤマザキマザック側)に銘板を見つけました。この周辺は江戸時代、尾張徳川藩の別邸で、6万4千坪もある広大な御下屋敷(注1)があった場所です。そして今、東生涯学習センター南の道路際に標識が残されています。

吉宗との対立で、この屋敷に蟄居となった宗春は、在任中からこの屋敷を好んで使用していたようです。明治以後、大正期までは畑や小山として残されていたようですが、今は道路も整備され近代的なビルが建ち並ぶようになり、様変わりになっています。銘板の直ぐ横には大きなクスノキがそびえ、100年以上にわたって、この町の変遷を見続けるかたわら、道行く人々に爽やかな木陰を提供してきています。

 

少し足を延ばして芸創センター、東生涯学習センターの道路脇の「御下屋敷跡」の標識を見ながら東へ向かうと立派な尖塔(注2)が見えてきます。ここは、市の都市景観重要建造物等に指定されている「カトリック布池教会(注3)」です。戦後の建造物で指定されているのは、名古屋大学豊田講堂とこの教会のみです。現在の聖堂は、昭和37年に建てられたゴチック様式の建物で、毎週日曜日には鐘が鳴らされミサが行われるそうです。結婚式場としても利用されおり、ちょうど出会った方は、「娘もここで結婚式を挙げた」と懐かしそうに話されていました。様々な方々の思い出を受け継ぎながら「今」に続いていることを実感しました。銘板や標識と正面から向き合うと、意外な一面が垣間見られ、その驚きが、また別の世界へと誘ってくれることでしょう。(銘板、ひがし見聞録、東区の歴史参照)

 

☆当会では、皆さまのご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。詳細はガイドについてからお進みください。 ​

 @CIMG3989銘板 CIMG4795
銘板 100年の時を経て
@CIMG4791明治と今 @CIMG4802御下屋敷標識
明治と今の様子 そっと語りかけ・・
@CIMG4801教会 @CIMG4799布池教会
聳え立つ尖塔 標識

注1:延宝7年(1679)尾張二代藩主光友が造った別邸 注2:尖塔は二本あり、高さは50㍍、コンクリートの塔の高さは30㍍ 注3:正式名称は「聖ペテロ・聖パウロ司教座教会」

徳川園あれこれ 銘板を訪ねて

高村光太郎“新緑の頃”の一節に「5月、6月の日本列島は隅から隅まで濡れて出たやうな緑のお祭・・」というくだりがあります。園内は萌え立つ新緑ばかり、まさに万緑の世界です。渡る風が次々と描く波紋、大曽根の瀧や龍門の瀧、虎の尾を流れるせせらぎと、負けずに躍動する水、緑と水の競演で最高のおもてなしをしてくれます。思いっきり深呼吸してみるのも良いのではないでしょうか?
龍仙湖では、今年孵ったカルガモの雛が、鯉と戯れたり、湖面を元気よく泳ぎまわり、来園者の方々の目を奪っています。「かわいい〜」の声にあっという間に人だかりが出来ています。最初は11羽いた雛も今は1羽しか見つけられません。大自然の厳しさを見せつけられるようでもあります。せめて、この1羽が元気に育つことを見守りたいと思います。薫る風、目に染みる新緑、そちこちからの水の音・・名跡、徳川園の今をお楽しみ下さい。

今回は、黒門から広場周辺をのんびり散策してみました。蝶、蜻蛉も初夏の空を舞っている、その視界に銘板が入ってきました。注目していないと通り過ぎてしまいそうですが、メーグルバス停に向かう道路脇に設置されています。明治以降の大曽根邸の変遷を伝えています。当時あったユウカリの木は今も蓬左文庫西南の角に残り、時代の移り変わりを今も見守っています。
蓬左文庫(注1)のエントランスホールは登録有形文化財(建造物)ですが、見学することも出来ます。書架は15000冊の古典籍を所蔵し、検索・閲覧することも出来ます。ここでは、過去から現在への変遷を文字で示してくれますよ。

☆当会では、毎週金曜日の午後1時から3時半(受付は3時)まで、定時ガイドを行っております。お気軽にお声かけください。

CIMG4248 CIMG4242新緑と瀧
彩りを添えて 苔も一役
CIMG4325  CIMG4300
鯉と仲良し? 親鳥に守られて
CIMG4157 CIMG4236
尾張徳川家の歴史が・・・ 蓬左文庫

街道を歩く1 〔飯田街道の起点〕

前回の「武平通り」の途中で、東桜郵便局(東桜一丁目)の十字路北東側に「飯田街道〈0〉→(注1)」の指標を見つけました。小さな交通標識くらいの大きさで、青色の文字は余り目立たず、注意深く見ないと通り過ぎてしまいそうです。ワクワク・ドキドキ、好奇心旺盛な気持ちで矢印に従って歩いてみました。
この辺り古民家が残っており、冨士中学校校庭南にある陸橋には「駿河町歩道橋」と書かれて昔の名残を留めています。街道は名古屋高速都心環状線を潜り南東へ進むと、「はじまり童子の像」が道行く人々を優しく見守っていました。この像は飯田街道起点を示す像で、厄除けや愛情の象徴として矢を持ち恵方を向いて立っていると書かれていました。その先五叉路の脇にまた、また街道散策路標識、「〈0〉飯田街道→」の指標を発見、このあたりは清須越しで有名な東寺町周辺で、幾度となく通っていたのですが、今まで指標には全く気づきませんでした。新しい道路に分断されたため、真っ直ぐ進むことは出来ませんが、街道は先へと続いています。

街道沿いにある西蓮寺の門扉には武田菱が付いており、本堂には「風林火山」の旗(通常は見られません)が掲げられているそうです。清須越しの寺で、極楽浄土へ導かれるという「二河白道(にがびゃくどう)浄土庭園(注2)」が有名です。明治初期には境内西側に学校が設けられ、東区誕生の際にはその空き校舎が区役所の仮庁舎になるなど、時代の変遷をずっと見守ってきています。
皐月の空や萌えだした若葉の並木と語り合いながら、埋もれそうになっている歴史探しはいかがでしょうか。(ひがし見聞録、名古屋の街道をゆく、東区の歴史参照)

☆当会では、皆様のご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。詳細はガイドについてからお進みください。

CIMG4143起点 CIMG3974右が起点へ向かう道
起点指標(右後方にテレビ塔) 歩道橋から(右、起点指標へ)
 CIMG3970冨士中 CIMG4151標識と五叉路
冨士中学校 五叉路の指標
CIMG4150 CIMG3912始まりの像
門扉に武田菱が・・ はじまり童子の像

注1:旧駿河町から寺町筋を通り市内では各所で分断されるが、平針、岡崎、稲武を経て飯田に至る道。家康が命じて開いた街道で駿河道・駿河街道とも呼ばれた(明治以降、飯田街道と呼ぶようになった)。また塩の道とも呼ばれ、信州に塩を運ぶ貴重な道であった

注2:浄土教の源である唐の善導大師の教えを説くもの(通常は非公開)

銘板を訪ねて 「オアシス21」と武平通

薫風に誘われ、ふとしたことで見つけた栄「オアシス21(注1)」にある銘板を訪ねました。通称<緑の大地>に設置されているのですが、目を留める方も殆ど無く、ちょっと残念に思いました。この地は、明治・大正期には官庁街であったこと、戦後の都市計画で栄公園となり、その後、幾多の変遷を経ながら平成14年にオープンしたとのこと。訪れたこの日は大型連休中ということもあって、地下の<銀河の広場>ではイベントが開催され、子どもさん達の歓声が響き渡り、活気に満ち溢れていました。
地球に優しい都市公園として建設され、市民の憩いの場として永く親しまれています。特に<水の宇宙船>は空中に浮かび人々の目を一層惹きつけます。因みに、この宇宙船の軸は名古屋城の方角を向いているようです。この日も大勢の人々が新緑に囲まれた環境で、文字通り、「都会という砂漠に存在する癒やしの泉」即ちオアシスとして、存在感を示していました。
NHK、愛知芸術文化センターと「オアシス」の間の道路が「武平通」であることを知り、周辺を散策してみました。名前の由来は江戸時代まで遡ります。普請奉行であった松井武兵衛(注2)の屋敷付近を武兵衛町(注3)と呼んだのが起こりだそうです。もう一人、武平町に居住した御弓頭、星野勘左衛門宅跡(注4)と書かれた石碑が残されていました。そして、脇道に逸れると、まだまだ貴重な遺産が沢山隠されているようです。今後、少しずつご紹介していきたいと思います。時には街の片隅で、静かに昔を語る指標・銘板を巡る道草はいかがでしょうか。
(名古屋時代MAP(江戸尾張編)、当会資料、オアシス21HP参照)
☆当会では皆さまのご要望に合わせて、依頼ガイドを行っております。詳細につきましては、ガイドについてからお進みください。

CIMG9910銘板縮 CIMG3929オアシス
懐かしい写真で紹介 オアシス21
CIMG3934銘板部分拡大 CIMG3941
今・むかし 宇宙船とテレビ塔
CIMG3945広場でイベント  CIMG3950新緑並木縮
イベント会場 新緑の並木道
CIMG9589武平通り縮 CIMG9594星野勘左衛門縮
唯一の標識 星野勘左衛門宅跡

注1:「水の宇宙船」・「緑の大地」・「バスターミナル」・「銀河の広場、ショップ」で構成
注2:初代義直の家臣、名古屋還付の時に碁盤割りの区画を作り上げた功労者。
今はここ1箇所の標識に名前が残る
注3:「兵衛」を略して「平」となった
注4:武平通りと錦通り交差点角、名古屋栄ビルディング敷地内の植え込みの中

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開館日とガイド実施時間

◆旧豊田佐助邸
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~15:30
ガイド常駐日:火、木、土
◆文化のみち二葉館
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~17:00
定時ガイド: 火、木、土
10:45、13:20の2回
30~40分
◆徳川園
月曜日休園
開園時間: 9:30~17:30
定時ガイド: 金曜日
13:00~15:30

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