首塚社という何だかちょっと怖そうで・・そして意味ありげな名前が付いた社があります。(東区金城学園中学校の西、中産ビルの北)
 その昔、前の坂は「首塚様の坂」と呼ばれていたそうです。玉垣に囲まれた「首塚霊神」と書かれた白い幟旗が目印になるかと思います。

 ある日、1枚の掲示された紙面を見つけました。(再度訪問の折には見つからず)それには令和4年5月26日をもって、諸般の事情により「首塚社」が廃祀されること、同日の午前10時30分から神事が執り行われると書かれていました(雨天決行)。これは一大事です。また貴重な歴史的遺産が姿を消してしまうという残念なお知らせです。まだ暫く時間がありますので、謂われや伝説を紐解いてみてはいかがでしょうか。

 名前から想像して「誰の首」を祀っているのでしょうか。調べてみましたが伝説や噂話など諸説あるようで、本当のことは良く分かりませんでした。
 ☆例えば、山伏説。「尾張名陽図会」を見ますと、「山伏塚」としてこの首塚のことを紹介しています。それには、昔この辺りが山野だった頃の言い伝えで、長壁筋(ながへいすじ)の東の屋敷の庭に松の大木があり、その木の根元を掘ってみると大きな螺貝(ほらがい)と錫杖の首(かしら)が出てきた。これが言い伝えにある山伏の塚印であろうと、もう一度埋め直したと書かれています。この場合の首は錫杖の首ということですが・・・ただ、ここは、首塚霊神を主神とし、ご神体は「ほら貝」といわれています。

 ☆別の説としては、ここはその昔、竹腰家の屋敷跡だったと言われ、敵にねらわれた山伏を竹腰がかくまい、夜出掛けた山伏の首が翌朝かまどの上に置かれていたので、首を埋めて山伏塚と呼んだとか、托鉢の虚無僧説などがあるようですが、定かではないようです。謎に包まれていますので詳細を尋ねてみたいと思いましたが、残念ながら叶いませんでした。古老は山伏の首が祀られていると話してくれました。

 消えゆくと聞き、一つひとつを丁寧に見させていただきました。入口には「首塚社」の石柱、その奥に屋根を貫く大木が祀られ、その奥に手水舎があります。大国主大神、末広大神(お稲荷)・白龍大神、塩竃大神、松本露仙霊神、大日大聖不動明王の五つの提灯が祀られています。奥に進むと覆幕(覆屋、鞘堂)の中に同じように五つの提灯、その前には末広大神の社、重軽石、本殿の社、不動明王像、末社が祀られています。重厚で厳かな雰囲気のある社を語り継ぎ、記憶に留めておきたいものですね。(日本名所風俗図会、尾張名陽図会、当会資料参照)

 首塚様の坂には幟旗が・・    首塚社石柱と大木
   手水鉢(亀?)     提灯をくぐって
   覆屋の中・・  覆屋にも提灯が祀られて
 重軽石と末広・本殿社      石仏と末社