「間違うて よい風の来る 大暑哉(尾崎紅葉)」 7月23日は大暑です。暑さが最も厳しくなる頃ですが、時折吹く涼風に期待したいところです。
 長引くコロナ禍で休止になっていた「勉強会(文会、注1)」を再開しました。さまざまな規制もありますが、「今出来ること」を真摯に受け止め学びの場としたいとの思いからです。
 名古屋開府以来の歴史的文化遺産である町名が、「住居表示に関する法律」が制定され多くの所で、現代的な町名に変更されました。今回は、「東区こぼれ話」として統合された白壁一帯の出来事を、体験や聞いた‘あんな話’“こんな話”を聞くことが出来ました。クイズ形式や「今とむかし」の比較を交えてで、大変興味深く、又有意義な学びの場となり、今後の活動の一助になることでしょう。まさに「経験に優るものなし」でした。

 過去から見れば、町並みも家並みも変遷していますが、歴史を繙くときの手がかりとなる一つに町名の変更があると思います。
 例えば、「白壁」も名古屋城の東部を占めるこの辺りは、中級武士の屋敷がありました。豊田太郎左衛門という武士が高塀を初めて白壁としたことが地名の由来だと言われています。今も白壁筋(白壁4)として継承されています。その他にもそれぞれの謂われのある町名が白壁1丁目〜5丁目として昭和50年に成立しています。

 その幾つかを繙いてみましょう。
※長塀町(ながへいちょう)」の謂われを辿ってみると、この地は江戸時代からの町名で、藩の重臣(成瀬、竹腰)の中屋敷があり、裏塀が長く続いていたことから名付けられていました。(白壁1〜5)

※東二葉町(白壁3)の謂われは、明治期に成立しているが、江戸時代には重臣竹腰家の中屋
敷があり、敷地内に大きな老松があった(松は二葉)、西二葉町(白壁2)と共に名付けられた。大正時代には女優第一号と言われた川上貞奴と福沢桃介の住まいで、二葉御殿と呼ばれていたが、現在は橦木町に移転し「文化のみち二葉館」として蘇っている。

※長久寺町も明治期成立の町名で、長塀町の北、東二葉町の東に位置し、長久寺の門前の町であったことから寺の名前から長久寺門前町と呼ばれていましたが、今は白壁3丁目です。

※清水町は清水口交差点東北にありますが、江戸期以来の町名でこの頃は志水町でした。町筋の志水坂の坂口に井戸があったことからだと言われています。途中で会った方から「昔はこの前の道がバス通りだったんですよ、 国道41号が通り寂しくなったが・・」とぽつりとお話しして下さいました。昔は風情があったんだろうな・・・と変に納得しました。

 この辺りもここ数年で随分様変わりしました。現在、昔の名前を冠し僅かに継承しているのは、公園やどんぐり広場になってしまいました。由緒ある消えた町名に足跡を残しつつ地域と共に歩んでいくことでしょう。古に思いをはせ、小さな足跡や路地をゆったり・・まったり歩いてみませんか。
(ひがし見聞録、東区の歴史、町名の由来、当会資料、聞き取りなど)
注1「学問を通して人々が集う(論語)

   長塀町の名前が残る    公園と共に後世に
  西二葉公園静かに・・ 長久寺公園(緑陰に誘われて)
 長久寺貝塚(金城中学校内)  お地蔵さん(善福院境内)
 貞奴邸跡碑(西南角に)     文会の様子