徳川園

徳川園

2005年万博の前年11月に開園された「池泉回遊式」の日本庭園です。
沿革は、尾張徳川家第二代藩主光友の大曽根下屋敷として造営され、当時の面積は約13万坪ナゴヤドーム9個分の大きさでした。現在の面積は約6900坪です。


1695年に光友の隠居所となりましたが1700年に亡くなり家老三家に下付され、明治維新後は、尾張徳川家の所有となっていました。昭和6年に第十九代義親氏より名古屋市に寄付され、整備のうえ「徳川園」として一般公開されていました。

昭和20年の大空襲で黒門と周りのみ残して焼失し、戦後改修して葵公園として利用され日本庭園に再整備されて2004年11月開園しました。

海をイメージした龍泉湖(1969坪)に知多の島三つが橋でつながり、島からは有楽好みを取入れ光友の諡号「瑞龍院」から名付けられた茶室「瑞龍亭」を望め、茶室からは中国杭州の西湖堤が湖を横切っているのが眺望されます。東京高田馬場近くの尾張藩江戸下屋敷(戸山荘)の跡地で見つかった龍門の石を一部再使用した「龍門の瀧」の飛び石を渡りきると瀧の水がどっと流れてびっくりさせられる仕掛を見ながら深山幽谷の木曾谷をイメージした「大曽根の瀧」から流れるせせらぎ「虎の尾」にそって山の公園に入ります。中国の豊干、寒山、拾得と虎が悟りの境地で禅画から名付けられた「四睡庵」に腰掛てごゆっくり。


金曜日の10:00から15:30まで常駐ガイドをしています。