名所案内

徳川園(東区徳川町) 二代藩主徳川光友の隠居所として造営された場所に庭園を平成16年(2004)に開園しました。園内には茶室が造られ、海・山・里の風景を取り入れた池泉廻遊式の日本庭園です。

建中寺(東区筒井1丁目) 二代藩主 徳川光友が初代義直の菩提を弔うため1651年に建立しました。明暦5年(1785)の大火で燃えなかった総門、山門は当時のままです。境内には壮大な本堂・鐘楼・経蔵などと21代までを祀った御霊屋(ごれいや)が在ります。

名古屋市市政資料館

名古屋市市政資料館(東区白壁一丁目) 市政資料館は、名古屋市市役所の東にあり、赤い煉瓦・タイルと白い花崗岩そして緑の銅板の組み合わせが美しく重厚で厳かな雰囲気が感じられる建物です。

旧豊田利三郎邸門・塀
旧豊田利三郎邸門・塀

旧豊田利三郎邸門・塀(東区白壁四丁目) 豊田佐吉の娘婿であった豊田利三郎の旧邸宅跡です。大正7年の建築だが、昭和60年にマンションとなりました。しかし平成27年に取り壊されて現在は更地です。門は格式のある薬医門、塀には武者窓が見られます。

文化のみち百花百草(東区白壁四丁目) 大正9年に建てられた邸宅を平成19年書院、茶室、土蔵などを改修し、新たにホールを設けて開設しました。各種の展示やお茶会に利用されています。四季を通じて楽しめる庭園が素晴らしいです。

主税町教会、東区の名木、欅

主税町教会(東区主税町三丁目) 明治20年(1887)フランス人宣教師テュルパン神父によって名古屋に初めて造られたカトリック教会です。東海三県下では最も古く当時は天主公教会と呼ばれていました。教会として士族屋敷を購入し長屋を聖堂として改造しました。明治37年、現在の聖堂の原型となる礼拝堂が建てられました。明治42年ルルドの洞窟を再現しました。平成26年、教会機能が布池教会に移されました。カトリック主税町記念聖堂とも呼ばれています。

旧豊田佐助邸

旧豊田佐助邸(東区主税町三丁目) 佐助氏は、豊田佐吉氏の末弟です。約600坪の敷地に白いタイル貼りの2階建て洋館と豪壮な2階建て和館からなっており、大正12年上棟の棟札が兄弟の両親の写真と共に掲示されています。

主税町長屋門(東区主税町四丁目) 中級武士が屋敷を構えた長屋の一部を門とした形式の建築物です。江戸期より当時の位置のまま残る武家屋敷門です。

文化のみち橦木館

文化のみち橦木館(東区橦木町二丁目) 大正15年、陶磁器輸出商井元為三郎氏によって建てられた和洋折衷の邸宅です。和館、蔵、茶室、色鮮やかなステンドグラスに満たされた洋館があります。平成8年市指定文化財となりました。

山吹谷公園(東区橦木町二丁目) 那古野山の谷合にあったこの地は、江戸時代前から山吹の名所として人々が花見に訪れた名所でした。現在でも起伏に富んだこの地は山吹谷公園として親しまれています。名古屋第三高等女学校の校碑と昭和20年の空襲で亡くなった女生徒を偲ぶ碑があります。

文化のみち二葉館

文化のみち二葉館(東区橦木町三丁目) 電力王 福沢桃介と国際女優 川上貞奴が旧所在地 東二葉町で大正9年から大正15年頃まで居住した旧川上貞奴邸です。平成17年2月よりこの地に復元移築しました。

朝日文左衛門宅跡
「太閤本店」の交差点あたりに屋敷がありました。尾張藩の初代御畳奉行であったが、17才より27年間書き続けた日記「鸚鵡籠中記」の作者として有名です。

旧西川秋次邸跡地
豊田佐吉に仕え、絶大な信頼を得て佐吉が上海に設立した「豊田紡織廠」の責任者となり活躍しました。晩年、私財にて「西秋奨学会」を設立しました。令和元年に関連会社の迎賓館として建て替えられました。

料亭 か茂免
大正8年、名古屋の中心的紙問屋であった中井巳次郎氏が建てた邸宅でした。宮家である賀陽宮恒憲王などが師団長時の宿舎になるが、戦後売却され、昭和23年より料亭「か茂免」として営業しています。

文会書庫跡
安永2年(1773)、河村秀穎により設立されました。河村家は代々尾張藩随一の学者の家柄で、三代にわたって収集した蔵書2万巻を一般公開しました。私設図書館のはしりでもありました。

桜井邸
明治38年(1905)建築です。帝国撚糸専務桜井善吉氏が自ら設計して建てた洋館(和洋折衷)であり、明治時代の個人住宅としては名古屋でも最古の邸宅に属します。桜井家は尾張藩の重臣として明治まで仕えていました。都市景観重要建築物。

料亭 香楽
明治34年(1901)建築。中級武家屋敷の門構え(棟門)が偲ばれます。戦後中区より移転した料亭が営業しています。

旧春田鉄次郎邸
大正13年(1924)建築。陶磁器の輸出貿易商でニューヨークなど海外にも多くの支店をもった鉄次郎氏の自邸として建てられた和洋折衷の住宅です。設計者は武田五一ともいわれています。洋館1階部分は現在レストランが営業しています。

森村組工場跡地
森村組(現ノリタケ)は明治29年(1896)にこの地に画付け作業場を集約し、千人規模の工場を作りました。 東区は多くの画付け工場や貿易業者が軒を連ねる日本の輸出陶磁器の最大生産地、集積地となりました。

Exif_JPEG_PICTURE

金城学院高等学校
明治22年(1889)この地方3番目の女学校として創設されました。榮光館(礼拝堂兼講堂)は都市景観重要建築物です。敷地内に牛馬用水(車を引く牛や馬のための飲み水)が残されています。