立夏も過ぎ今が一番、青葉、若葉の美しい季節と言われています。私も薫風に誘われて、今年4月に当会の勉強会で学んだ、古い町名の残る城番公園、自然院(筒井町4)の可愛いお地蔵さんに会いに出かけてみました。その昔、この辺りは同心や御深井丸の番人の住宅地であったから城番町の名が生まれたそうです。今は当時を偲べるものは殆どなく、ただ溢れんばかりの緑が木陰を作っているのみでした。
 自然院(じねんいん)の山門の横、台の上に乗った高さ80センチの地蔵菩薩(出世地蔵)が立たれ、周りを囲むように可愛い6体のお地蔵様が見えました。境内には幼稚園もあり、園内で学ぶ児を優しく見守っているような微笑ましい光景でした。

 城番公園は初めて聞いたような名称で、尋ねてみたところ、江戸時代の生活環境を想像できる貴重な名であることが分かりました。この辺りでも、この公園のみに古い名が残っているだけだそうです。町名から、歴史を読み解ける所がどんどん減少しているのは大変残念です。
 自然院へは、お地蔵様に引きよせられて?立ち寄りました。ここにも地名にまつわる(諸説ある)話のあることを、ご住職様に教えていただき、びっくりしました。江戸時代、高岳院の眼誉上人が晩年、自然院(相応寺の末寺)を建て住まわれた。同寺の本尊は京都黒谷(くろだに)から上人が持ち帰った像であることから、この門前を黒谷門前と呼び、「くろだにもんぜん・・・・、後に黒門町」になったとのことです。

 門前の小さなお地蔵様たちも、目を押さえたり、はいはいをしたり、おんぶしたりと微笑ましくあどけない姿に思わず頬が緩みます。その昔は、他のお地蔵様と一緒に境内の大木の脇に居られたそうです。当時は少し薄暗かったようですが、多くの人に親しまれていたようです。幼稚園を興すにあたって、今の場所にお堂が移されたとのことで、戦前は境内に鐘撞き堂もあったそうです。ここにも戦争の痕跡があり、次世代に如何にこれらを継承していくか、現代とどう融合するかの課題があると思います。

 「青嵐(あおあらし)埴輪の群れも野の仏(滝 春一)」の句が頭をよぎり、
穏やかな青東風(あおこち)に見送られた気がしました。日照時間の長いこの頃、時には“ゆったり、まったり”の中に身を置いてみられるのは如何でしょう。
(参考文献:ひがし見聞録、東区の歴史、お地蔵さん見つけた、聞き取り)

 出世地蔵・身代わり地蔵    黒谷 自然院
   本堂と幼稚園(左)  元、お堂はこの大木の脇に
 城番公園 整理前後の銘板  屋根神様(山車収納庫前)