薫風に誘われ、ふとしたことで見つけた栄「オアシス21(注1)」にある銘板を訪ねました。通称<緑の大地>に設置されているのですが、目を留める方も殆ど無く、ちょっと残念に思いました。この地は、明治・大正期には官庁街であったこと、戦後の都市計画で栄公園となり、その後、幾多の変遷を経ながら平成14年にオープンしたとのこと。訪れたこの日は大型連休中ということもあって、地下の<銀河の広場>ではイベントが開催され、子どもさん達の歓声が響き渡り、活気に満ち溢れていました。
地球に優しい都市公園として建設され、市民の憩いの場として永く親しまれています。特に<水の宇宙船>は空中に浮かび人々の目を一層惹きつけます。因みに、この宇宙船の軸は名古屋城の方角を向いているようです。この日も大勢の人々が新緑に囲まれた環境で、文字通り、「都会という砂漠に存在する癒やしの泉」即ちオアシスとして、存在感を示していました。
NHK、愛知芸術文化センターと「オアシス」の間の道路が「武平通」であることを知り、周辺を散策してみました。名前の由来は江戸時代まで遡ります。普請奉行であった松井武兵衛(注2)の屋敷付近を武兵衛町(注3)と呼んだのが起こりだそうです。もう一人、武平町に居住した御弓頭、星野勘左衛門宅跡(注4)と書かれた石碑が残されていました。そして、脇道に逸れると、まだまだ貴重な遺産が沢山隠されているようです。今後、少しずつご紹介していきたいと思います。時には街の片隅で、静かに昔を語る指標・銘板を巡る道草はいかがでしょうか。
(名古屋時代MAP(江戸尾張編)、当会資料、オアシス21HP参照)
☆当会では皆さまのご要望に合わせて、依頼ガイドを行っております。詳細につきましては、ガイドについてからお進みください。
懐かしい写真で紹介 | オアシス21 |
今・むかし | 宇宙船とテレビ塔 |
イベント会場 | 新緑の並木道 |
唯一の標識 | 星野勘左衛門宅跡 |
注1:「水の宇宙船」・「緑の大地」・「バスターミナル」・「銀河の広場、ショップ」で構成
注2:初代義直の家臣、名古屋還付の時に碁盤割りの区画を作り上げた功労者。
今はここ1箇所の標識に名前が残る
注3:「兵衛」を略して「平」となった
注4:武平通りと錦通り交差点角、名古屋栄ビルディング敷地内の植え込みの中
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