井上士朗句碑

 東区には沢山の句碑、道標、石造物などがあります。今年は神社仏閣にある石碑、又は徳川園にある石造物、石。その他佐助邸で見つけた石など石についての話題を取上げてみたいと思います。
 泉二丁目5、旧鍋屋町二丁目を少し北に入ったところに大光寺があります。ここは平岩親吉(ちかよし)ゆかりの寺で甲州から清須、さらに慶長15年(1610)から始まった清須越で現在地に移った日蓮宗の寺です。この大光寺山門の左手には「井上士朗宅跡」と書かれた石碑が見られます。士朗はこの大光寺の南隣に住んだ江戸時代中期の俳人で町医者でもありました。通称「専庵」と言われ、患者があふれ大光寺東側の南北の道を「専庵横丁」と云われたほどでした。

DSC00025井上士朗宅 士朗宅はこの大光寺の南にありましたが、(この写真では道路の左)民家となり石碑は大光寺敷地内に建てられました。
DSC00028句碑縮小 この境内の奥にある句碑です。
「山里の 月夜を運べ 庭の松」
と刻まれています。かつての屋敷には大きな士朗自慢の赤松があり、病床にあった士朗が庭の松にせめてここに月を運んでくれと想いを寄せて詠んだものです。  
 
 (昭和42年5月建立)
 Scan1   江戸時代を代表する俳人で画家の与謝蕪村が、名古屋の俳人、井上士朗らにあてた絵入りの手紙を名古屋市博物館が入手。
「尾張名古屋は士朗でもつ」と名前と「城」をかけた駄じゃれが書かれている。 

 (平成19年1月7日、中日新聞より)

東区文化のみち ガイドボランティアの会

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