’伝説の足跡を訪ねて’7「竹藪地蔵」・「子安地蔵(観音院)」

東区に伝わる伝説には、お地蔵様にまつわるお話しが沢山あります。
今までも幾つかご紹介してきましたが、いつでも優しい慈眼を注いでくれています。なかなか収束のみえないコロナ禍の中、平安を求め今回は白壁2丁目(旧町名→清水町、長塀町、東二葉町、西二葉町)周辺を歩き、3箇所でお地蔵さんを見つけましたよ。

①国道41号線の道路脇(清水口交差点から北へ100m)に“竹藪から出たと
伝えられるお地蔵さん”が祀られています。これは延命寺蔵さんだそうです。

②西へ小路を進むと清瀧寺。ここにも地蔵堂がありました。西二葉公園(地名だけ残る)脇を通って七尾天神社前を通り、明和高校北の小路へ、
③観音院・山門の西に子安地蔵さんと水子地蔵さんが優しく微笑んでいました。民家に囲まれた静かな町並みの中にありました。

伝説や寺院との関わりは様々ですが、お地蔵様のお姿は今昔物語の説話から始まっているとも言われます。江戸時代になって、お地蔵様は子どもと仲良しになったとも言われます。

地蔵思想は、平安の昔から様々に変化を遂げてきたようです。年代毎に紐解いてみるのも面白いかも知れませんね。機会を見て挑戦してみたいと思いますが、今回は3箇所のお地蔵さまについて考えてみます。

①お首地蔵さまの言い伝えは、あるおばあさまのお話(故人)によると、夢に数回お地蔵様が出てこられ「藪の中に埋まっている、誰も詣ってくれんので淋しゅうてかなわん。人目に付くところへ出しておくれ、沢山の人を救ってあげたい」と言われた。近所の人達と藪の中に入ってみると、頭だけちょっと出したお地蔵さんがおらしたそうな。綺麗に洗って敷地内の脇でお守りしていたが、後に現在お守りしている方に引き継がれた。その後、国道の西に御堂が出来、現在も守り続けているそうです。(諸説あるようですが明治維新の「令」の際に埋められたのではないかと言われているそうですが・・)

②清瀧寺は真言宗で本尊は不動明王。山門は名古屋城の二の丸の城門を拝領したと言われています。門の西側に赤鳥居と鞘堂、その隣に「地蔵堂」があり、石地蔵菩薩の額が飾られています(子安地蔵等が安置してあるそうです)。

③観音院は西山浄土宗で町屋寺院です。門前西には高さ80センチの子安地蔵尊と水子地蔵が安置され、穏やかに道行く人を見守っていました。ご住職様のお話では年代などは分からないそうです。

お地蔵さまは身近な仏様ですが、お坊さんのお姿をしていますね。路傍のお地蔵様も気安く声を掛けてくれるような気がします。失われた町名も公園に残されていて、その昔を懐かしみ思い巡らすことも出来るのではないでしょうか。(尾張名古屋のお地蔵さま、東区昔話と伝説を訪ねて、東区の歴史参照)

竹藪地蔵と馬頭観音 大切に守られて・・
清瀧寺山門と萬蔵寄進の標石 鳥居の右隣が地蔵堂
子安地蔵と水子地蔵 観音院
七尾神社 彩りを添えて・・

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