「東区文化のみちガイドボランティアの会」が名古屋市東区「文化のみち」の魅力を紹介します
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石造物

コミュニティ道路2 「かたらいの道」

桜は日本人と古くから深い関わりを持ってきたようで、源氏物語の「花の宴」の巻には花見の会を催す描写があります。その桜、原種は10種類ほどで、人の手を加えたものを含めると数百種類に及ぶそうです。
桜を愛でつつ、名古屋市立あずま中学校(筒井一丁目)周辺の「今と昔」を探索してみました。
中学校の正門前は見事に整備されたコミュニティ道路があり、手入れの行き届いた様は、各所に温かな配慮が感じられます。そこには、その場に相応しい「かたらいの道」と書かれた大きな標石が据えられていました。折から、あずま中学校の塀沿いに並んでいる桜も咲き始め、通り過ぎる人々の目を楽しませています。その時、全く気づかずにいた校舎西の壁面に描かれた、大きな地図を見付けました。みなさんご存知でしたか? さらにこれには、「江戸時代のわたしたちの町(名古屋城下図から)」と書かれています。そうです、ここは尾張徳川家の菩提寺である「建中寺」のあった場所で、創建当時、周囲は石垣と塀で囲まれ4万8千坪の広大な寺域(注1)でした。あずま中学校には今もこの石垣が残され、当時を彷彿させると共に、江戸時代を近いものに感じました。壁面の画を思い出しながら旧寺域を歩いてみると、視点が変わったためか、今まで点でしかなかった建物群が、線で繋がりはじめました。一つの地図が、地域との繋がりや歴史を語り、通る人に呼びかけているように感じました。ゆっくり散策してみると、意外に新しい発見に出会うかも知れませんよ。
当会では、皆さまのご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。「ガイドについて」からお進み下さい。

CIMG2901標石 CIMG3369壁面地図
柔らかな春の陽が・・ 江戸の様子が一目瞭然
CIMG3373建中寺石垣 CIMG3375塔頭誓安院
建中寺の石垣 塔頭 誓安院(区役所北)
CIMG3566区役所の桜 CIMG3380三色椿?
区の桜前線?! 三色椿も顔を覗かせ

注1:現在、 旧寺域内には建中寺、建中寺公園、東区役所、警察署、筒井小学校(清沢満之の碑、銘板あり)、あずま中学校、東海高校、塔頭2院(宗心院・誓案院)等々が存在します

コミュニティ道路1 「にれのこみち」

1年の世相を一文字で表す今年の漢字が「安」と決定しました。安全保障関連法の成立などが決定理由に挙がったそうです。清水寺の森清範貫主は、不安の「安」ではないか・・と述べられたそうですが、皆さまはどんな漢字を思い浮かべられたでしょうか?
そんなことを考えながら、桜通りのイチョウ並木を散策しました。暫くすると『代官町コミュニティ道路「にれのこみち」』と書かれた、可愛い童子がちょこんと座ったモニュメントに出会い、何故かホッとしました。これは、昭和57年に市内で最初のコミュニティ道路として誕生し、現在では200箇所以上に増え、市内全域に広がり、整備されつつあるとのことでした。市民の方々の安全への配慮からですが、東区では安全・安心の「安」ですね。きっと!
ここを起点に北にさらに進むと、左側にソテツの大木とレトロなビルが目に入り、ビルの外壁のタイルには「あ・うん」の獅子のレリーフが、2階部分に嵌められていました。ここのソテツは樹齢が100数十年以上という銘木だと教えていただきました。ソテツの側に、建築計画の看板があり遠からず立て直されるとのことでした。びっくりして「このソテツは?」とお尋ねすると、残念ながら残らず、レリーフの取り扱いについても、はっきりとは分からないとのことでした。
ここは大正末期に同心会館(大乗仏教)として建築され、結婚式、葬儀場等として使用、大戦中には避難所にもなっていたということです。空襲に遭いながら、幾多の補修を重ね現在に至っているとのことです。昭和36年エザキ株式会社(石油製品販売会社)が買受、現在は本社ビルとして使用されています。
また一つ大きな遺産が消えていく寂しさを感じ、この歴史の証が何らかの形で次世代に引き継がれることを願いながら帰路につきました。(当会資料、あれこれ№7参照)

CIMG1799 CIMG1806
イチョウ並木 地域の変遷を見つめて
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道案内?! 社屋にそっと寄り添い
CIMG1816 CIMG1818
左側に「あ」 右側に「うん」

市政資料館周辺 今・むかし

今回は主税町から41号線を越え西に進み、名古屋市が設定する「文化のみちの起点」ともなっている、名古屋市市政資料館(注1)の周辺を訪ねてみました。旧裁判所当時に植えられたという大きな「ヒマラヤスギ(注2)」が正門脇で出迎えてくれます。大正11年(1922)から中部地方の司法の中心として星霜を重ね、昭和54年に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸に移転したのに伴い、一旦役目を終えました。
ネオバロック様式で、華やかさと荘厳さを兼ね備えた大正期の貴重な文化遺産であることから、昭和59年(1984)国の重要文化財に指定され、永久保存されることになった建物です。正面中央のドーム屋根に塔屋を設けた3階建てで、赤・白の対比が美しい官庁建築です。塔屋には、天皇の名の下に裁判を行っていた名残として菊の紋章が付けられていましたが、戦後の国家体制により現在は外され、跡(注3)だけとなっています。中央下には神剣と神鏡のレリーフが付けられています。
中に入ると正面中央には公正を象徴するステンドグラス(天秤)が嵌められ、厳粛さが伝わってきます。一寸見逃しがちですが、階段両脇にある黒い柱は、上半分と下半分で温度差があります。何故でしょう?(注4)・・是非触れてみて下さい。
この館、最近は若者の人気スポットになって結婚式も執り行われるようになりました。手摺は天然大理石で造られており、よく見ると「シカマイア」や「ヤベイナ」、そして小さな可愛いアンモナイトの化石を幾つか見つけることができます。常設展示室には、市政、司法の貴重な資料、また名古屋の軌跡を辿る公文書などが置かれ、いつでも閲覧することができます。
市政資料館の1本道を隔てた向かいには、司法の中心であった頃を偲ばせる「司法長屋」「弁護士長屋」と呼ばれた建物が、戦災から免れ、昔の面影のまま残されています。
また、その東隣には近代的な建物「愛知県女性総合センター ウイルあいち」があります。現在は女性の自立と社会参加を推進する拠点ですが、この地、実は愛知県家庭裁判所跡に建てられているのです。時代の流れに沿いながら、変貌を遂げているのが実感できます。
★皆様のご要望に合わせた、依頼ガイドも行っております。お申し込みはこちらからお願いします。

CIMG0218資料館 CIMG4046塔屋
威風堂々と 取り外された御紋
CIMG4074当時の資料館 CIMG4071神剣・神鏡
第1展示室(当時の名古屋控訴院) 神剣と神鏡
CIMG4064法廷の様子 CIMG4051アンモナイト
明治のころの法廷 アンモナイトの化石
CIMG0217司法長屋縮 CIMG4079風薫る
司法長屋 資料館玄関前庭(少女の像)

注1:資料館についてはこちらからどうぞ
注2:ヒマラヤスギ、ステンドグラスについてはこちらからもご覧いただけます
注3:3階展示室で当時の様子を見ることができます
注4:下半分は本物の大理石、上半分は漆喰塗りの上に大理石を似せて塗ったマーブル塗りだから

戦後70年の証を探す

各地で観測史上最長の猛暑日が続いていると、連日マスコミが報じています。暦の上では立秋も過ぎ、遠からず朝夕は涼しくなるのでしょうが・・・。夜になると、静寂の中で僅かに聞こえる虫の音、着実に季節は変貌を遂げているのです。
戦後70年の節目となる今年は、メディアや書籍などでも取り上げられる頻度も多く、忘れかけていた記憶に蘇るものも少なからずあります。真っ青な空に浮かぶ入道雲、射すような陽ざしを避け、日陰を求めナゴヤドームに向かいました。そのドーム総合案内所の横に、小さなプレートを見つけ、思わずその内容にびっくりしました。
今まで幾度となく足を運んで通り過ぎていたのに、全く気づかなかったプレートです。このドームは「三菱重工名古屋発動機製作所大幸工場跡」に建てられています。この場所は恰好の標的とされたため、重なる爆撃を受け、多くの人々が犠牲になられたこと、中には選手の方も特攻隊として亡くなられていることが記されていました。そして今、その場所で野球やコンサート、大規模な催し物などが出来ることへの感謝と共に、亡くなられた方々へのご冥福を祈る言葉が記されていました。

さらに、JR大曽根駅南口駐輪場の横に、殉職者慰霊碑を見つけました。これには、昭和20年4月の爆撃からお客様を救い、殉職された職員の方々の慰霊碑だと書かれていました。この横を今日も電車が走っています。

その昔、大曽根御下屋敷(注1,現徳川園)と地続きであったと、ご住職様から教えていただいた片山八幡神社があり、その石垣や、当時風光明媚で有名であった了義院(注2)には、今なお弾痕跡が残る鳥居や芭蕉の句碑がありました。
戦後70年目にあたる本年、あちこちに静かに佇む史跡を巡ってみるのは如何でしょう。

★  当会では、皆様のご要望に合わせた東区内のガイドを行っております。ご一緒に宝物探しの散策に出かけてみませんか。お問い合わせはこちらからお願いします。

CIMG4009ドームプレート CIMG3989慰霊碑
ドームにあるプレート 大曽根駅南 慰霊碑
CIMG3953石垣弾痕跡 CIMG3958石垣弾痕跡
石垣に残る弾痕跡 当時の様子が・・・
CIMG3945鳥居 CIMG3949釈迦
鳥居に残る弾痕跡 お釈迦様の胸に残る傷痕・・・

注1:元禄8年(1695)、尾張徳川家二代藩主光友のご隠居所。その後変遷を経て昭和6年十九代義親は大曽根邸の敷地の一部と建物を名古屋市に寄贈。建物は戦災で焼失している。
注2:こちらからもご覧いただけます。

町並み保存地区2「鳥屋筋」

前回は町並み保存地区、主税町筋の銘板をご紹介しました。今回は、長久寺町から長塀、白壁、主税、橦木町までの南北の筋「鳥屋筋」(注1)をご案内したいと思います。
その昔、暮春の頃は酒さかなを携えた風流人が、花見(ヤマブキの花)をしたという山吹谷公園辺りまでを歩いてみました。
道路沿いに、首塚霊神の幟列が揺れていました。前の道から南へ向かう急坂、昔は「首塚社様の坂」と呼ばれていたようです。首塚社(注2)の前の道は東区ですが、首塚社は北区になるという意外な境界でした。一寸寄り道をすると、その東には蓮池弁財天があり、ここには加藤清正の大きな手形がありました。この辺りに昔の面影は殆ど見つけられませんでしたが、以前紹介した二葉邸趾はモダンなビル(マンション)になっていました。出来町通りを越え、町並み保存地区へ進むと、ノーベル賞を受賞された小林誠氏宅跡(現在は駐車場)や、今風の瀟洒な建物と、昔の面影を残した町並みが融合する不思議な場所にたどり着きました。山吹谷公園では夏の風物詩?蝉の大合唱が迎えてくれました。今年は戦後70年・・公園の片隅には、その爪痕、空襲の犠牲となられた第三高女の方々の碑がありました。普段、気づかずに通り過ぎている小径にも、昔を語り、平和を希求する足跡が残されていました。
★当会では皆様のご要望に添った依頼ガイドも行っております。お問い合わせは こちらからお願いします。

CIMG2567首塚社登坂 CIMG2573
首塚社の幟旗と坂 右、加藤清正の手形?!
CIMG2825白壁東へ CIMG2611
保存地区、今・昔 右、尾張藩士、高梨五左衛門邸跡の石柱
CIMG2815 CIMG2818
大正時代の長屋 屋根神様、今は祠だけに・・・
CIMG2713山吹谷公園 CIMG3969校碑と碑
山吹谷公園 旧市立第三高女 校碑と爆撃の碑

注1:藩政時代は武家屋敷だったが、その後、町屋となり町人が小鳥を売っていたことが町名の由来という
注2:尾張藩、竹腰家にまつわる伝説から造られたといわれている。ご神体はホラ貝

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開館日とガイド実施時間

◆旧豊田佐助邸
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~15:30
ガイド常駐日:火、木、土
◆文化のみち二葉館
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~17:00
定時ガイド: 火、木、土
10:45、13:20の2回
30~40分
◆徳川園
月曜日休園
開園時間: 9:30~17:30
定時ガイド: 金曜日
13:00~15:30

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