「東区文化のみちガイドボランティアの会」が名古屋市東区「文化のみち」の魅力を紹介します
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石造物

コミュニティ道路1 「にれのこみち」

1年の世相を一文字で表す今年の漢字が「安」と決定しました。安全保障関連法の成立などが決定理由に挙がったそうです。清水寺の森清範貫主は、不安の「安」ではないか・・と述べられたそうですが、皆さまはどんな漢字を思い浮かべられたでしょうか?
そんなことを考えながら、桜通りのイチョウ並木を散策しました。暫くすると『代官町コミュニティ道路「にれのこみち」』と書かれた、可愛い童子がちょこんと座ったモニュメントに出会い、何故かホッとしました。これは、昭和57年に市内で最初のコミュニティ道路として誕生し、現在では200箇所以上に増え、市内全域に広がり、整備されつつあるとのことでした。市民の方々の安全への配慮からですが、東区では安全・安心の「安」ですね。きっと!
ここを起点に北にさらに進むと、左側にソテツの大木とレトロなビルが目に入り、ビルの外壁のタイルには「あ・うん」の獅子のレリーフが、2階部分に嵌められていました。ここのソテツは樹齢が100数十年以上という銘木だと教えていただきました。ソテツの側に、建築計画の看板があり遠からず立て直されるとのことでした。びっくりして「このソテツは?」とお尋ねすると、残念ながら残らず、レリーフの取り扱いについても、はっきりとは分からないとのことでした。
ここは大正末期に同心会館(大乗仏教)として建築され、結婚式、葬儀場等として使用、大戦中には避難所にもなっていたということです。空襲に遭いながら、幾多の補修を重ね現在に至っているとのことです。昭和36年エザキ株式会社(石油製品販売会社)が買受、現在は本社ビルとして使用されています。
また一つ大きな遺産が消えていく寂しさを感じ、この歴史の証が何らかの形で次世代に引き継がれることを願いながら帰路につきました。(当会資料、あれこれ№7参照)

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イチョウ並木 地域の変遷を見つめて
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道案内?! 社屋にそっと寄り添い
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左側に「あ」 右側に「うん」

市政資料館周辺 今・むかし

今回は主税町から41号線を越え西に進み、名古屋市が設定する「文化のみちの起点」ともなっている、名古屋市市政資料館(注1)の周辺を訪ねてみました。旧裁判所当時に植えられたという大きな「ヒマラヤスギ(注2)」が正門脇で出迎えてくれます。大正11年(1922)から中部地方の司法の中心として星霜を重ね、昭和54年に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸に移転したのに伴い、一旦役目を終えました。
ネオバロック様式で、華やかさと荘厳さを兼ね備えた大正期の貴重な文化遺産であることから、昭和59年(1984)国の重要文化財に指定され、永久保存されることになった建物です。正面中央のドーム屋根に塔屋を設けた3階建てで、赤・白の対比が美しい官庁建築です。塔屋には、天皇の名の下に裁判を行っていた名残として菊の紋章が付けられていましたが、戦後の国家体制により現在は外され、跡(注3)だけとなっています。中央下には神剣と神鏡のレリーフが付けられています。
中に入ると正面中央には公正を象徴するステンドグラス(天秤)が嵌められ、厳粛さが伝わってきます。一寸見逃しがちですが、階段両脇にある黒い柱は、上半分と下半分で温度差があります。何故でしょう?(注4)・・是非触れてみて下さい。
この館、最近は若者の人気スポットになって結婚式も執り行われるようになりました。手摺は天然大理石で造られており、よく見ると「シカマイア」や「ヤベイナ」、そして小さな可愛いアンモナイトの化石を幾つか見つけることができます。常設展示室には、市政、司法の貴重な資料、また名古屋の軌跡を辿る公文書などが置かれ、いつでも閲覧することができます。
市政資料館の1本道を隔てた向かいには、司法の中心であった頃を偲ばせる「司法長屋」「弁護士長屋」と呼ばれた建物が、戦災から免れ、昔の面影のまま残されています。
また、その東隣には近代的な建物「愛知県女性総合センター ウイルあいち」があります。現在は女性の自立と社会参加を推進する拠点ですが、この地、実は愛知県家庭裁判所跡に建てられているのです。時代の流れに沿いながら、変貌を遂げているのが実感できます。
★皆様のご要望に合わせた、依頼ガイドも行っております。お申し込みはこちらからお願いします。

CIMG0218資料館 CIMG4046塔屋
威風堂々と 取り外された御紋
CIMG4074当時の資料館 CIMG4071神剣・神鏡
第1展示室(当時の名古屋控訴院) 神剣と神鏡
CIMG4064法廷の様子 CIMG4051アンモナイト
明治のころの法廷 アンモナイトの化石
CIMG0217司法長屋縮 CIMG4079風薫る
司法長屋 資料館玄関前庭(少女の像)

注1:資料館についてはこちらからどうぞ
注2:ヒマラヤスギ、ステンドグラスについてはこちらからもご覧いただけます
注3:3階展示室で当時の様子を見ることができます
注4:下半分は本物の大理石、上半分は漆喰塗りの上に大理石を似せて塗ったマーブル塗りだから

戦後70年の証を探す

各地で観測史上最長の猛暑日が続いていると、連日マスコミが報じています。暦の上では立秋も過ぎ、遠からず朝夕は涼しくなるのでしょうが・・・。夜になると、静寂の中で僅かに聞こえる虫の音、着実に季節は変貌を遂げているのです。
戦後70年の節目となる今年は、メディアや書籍などでも取り上げられる頻度も多く、忘れかけていた記憶に蘇るものも少なからずあります。真っ青な空に浮かぶ入道雲、射すような陽ざしを避け、日陰を求めナゴヤドームに向かいました。そのドーム総合案内所の横に、小さなプレートを見つけ、思わずその内容にびっくりしました。
今まで幾度となく足を運んで通り過ぎていたのに、全く気づかなかったプレートです。このドームは「三菱重工名古屋発動機製作所大幸工場跡」に建てられています。この場所は恰好の標的とされたため、重なる爆撃を受け、多くの人々が犠牲になられたこと、中には選手の方も特攻隊として亡くなられていることが記されていました。そして今、その場所で野球やコンサート、大規模な催し物などが出来ることへの感謝と共に、亡くなられた方々へのご冥福を祈る言葉が記されていました。

さらに、JR大曽根駅南口駐輪場の横に、殉職者慰霊碑を見つけました。これには、昭和20年4月の爆撃からお客様を救い、殉職された職員の方々の慰霊碑だと書かれていました。この横を今日も電車が走っています。

その昔、大曽根御下屋敷(注1,現徳川園)と地続きであったと、ご住職様から教えていただいた片山八幡神社があり、その石垣や、当時風光明媚で有名であった了義院(注2)には、今なお弾痕跡が残る鳥居や芭蕉の句碑がありました。
戦後70年目にあたる本年、あちこちに静かに佇む史跡を巡ってみるのは如何でしょう。

★  当会では、皆様のご要望に合わせた東区内のガイドを行っております。ご一緒に宝物探しの散策に出かけてみませんか。お問い合わせはこちらからお願いします。

CIMG4009ドームプレート CIMG3989慰霊碑
ドームにあるプレート 大曽根駅南 慰霊碑
CIMG3953石垣弾痕跡 CIMG3958石垣弾痕跡
石垣に残る弾痕跡 当時の様子が・・・
CIMG3945鳥居 CIMG3949釈迦
鳥居に残る弾痕跡 お釈迦様の胸に残る傷痕・・・

注1:元禄8年(1695)、尾張徳川家二代藩主光友のご隠居所。その後変遷を経て昭和6年十九代義親は大曽根邸の敷地の一部と建物を名古屋市に寄贈。建物は戦災で焼失している。
注2:こちらからもご覧いただけます。

町並み保存地区2「鳥屋筋」

前回は町並み保存地区、主税町筋の銘板をご紹介しました。今回は、長久寺町から長塀、白壁、主税、橦木町までの南北の筋「鳥屋筋」(注1)をご案内したいと思います。
その昔、暮春の頃は酒さかなを携えた風流人が、花見(ヤマブキの花)をしたという山吹谷公園辺りまでを歩いてみました。
道路沿いに、首塚霊神の幟列が揺れていました。前の道から南へ向かう急坂、昔は「首塚社様の坂」と呼ばれていたようです。首塚社(注2)の前の道は東区ですが、首塚社は北区になるという意外な境界でした。一寸寄り道をすると、その東には蓮池弁財天があり、ここには加藤清正の大きな手形がありました。この辺りに昔の面影は殆ど見つけられませんでしたが、以前紹介した二葉邸趾はモダンなビル(マンション)になっていました。出来町通りを越え、町並み保存地区へ進むと、ノーベル賞を受賞された小林誠氏宅跡(現在は駐車場)や、今風の瀟洒な建物と、昔の面影を残した町並みが融合する不思議な場所にたどり着きました。山吹谷公園では夏の風物詩?蝉の大合唱が迎えてくれました。今年は戦後70年・・公園の片隅には、その爪痕、空襲の犠牲となられた第三高女の方々の碑がありました。普段、気づかずに通り過ぎている小径にも、昔を語り、平和を希求する足跡が残されていました。
★当会では皆様のご要望に添った依頼ガイドも行っております。お問い合わせは こちらからお願いします。

CIMG2567首塚社登坂 CIMG2573
首塚社の幟旗と坂 右、加藤清正の手形?!
CIMG2825白壁東へ CIMG2611
保存地区、今・昔 右、尾張藩士、高梨五左衛門邸跡の石柱
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大正時代の長屋 屋根神様、今は祠だけに・・・
CIMG2713山吹谷公園 CIMG3969校碑と碑
山吹谷公園 旧市立第三高女 校碑と爆撃の碑

注1:藩政時代は武家屋敷だったが、その後、町屋となり町人が小鳥を売っていたことが町名の由来という
注2:尾張藩、竹腰家にまつわる伝説から造られたといわれている。ご神体はホラ貝

禅隆寺・大光寺

紅葉で有名な禅隆寺(飯田町36)ですが、今は境内が新緑に満ちあふれ、文字通り万緑の世界です。ご住職様の「今は新緑が綺麗ですよ!」の言葉に誘われて境内に入ると、そこは静寂の世界が広がっていました。薫風に揺れる木々のささやき、木漏れ日が庭に僅かな動きを演出し、思わず瞑想の世界へと引きずり込まれてしまいます。
本堂は合掌の形をした珍しい造りで、思わず手を合わせてしまいました。本尊は義直(尾張初代藩主)寄進の釈迦如来が祀られています。本堂前には、仏教の心構えを映すという枯山水の「山水菩薩庭園」が設えられ、その奥には創建当時の観音堂があり、「聖観音立像(樟の一木造)(注1)」が祀られています。新緑を背景にした建物、石造物などの一体感を心静かに味わってみるのはいかがでしょうか。
もう一ヵ寺、珍しいパゴダ(仏塔)風の様式で造られている大光寺(泉二丁目)をご紹介します。この寺、慶長の頃に清須から当地へ移転され、明治4年には第6義校となり、山吹小学校の前身となった所です。
境内には井上士朗の碑があり、一種独特の趣があります。碑には「山里の 月夜を運べ 庭の松」と刻まれています。江戸中期の俳人、井上士朗の邸宅は大光寺の寺域南にあったそうです。境内には、あじさいが多く植えられていましたので、これから咲き始めると、境内は華やかに彩られることでしょう。
趣の違う二寺ですが、日頃の喧騒から時には解き放たれ、心静かにご覧になってはいかがでしょう。
★井上士朗についてはこちらからもご覧いただけます。

CIMG2717禅隆寺 CIMG2724本堂
創建当時の山門(禅隆寺) 新緑に抱かれた本堂
CIMG2723庭園と観音堂 CIMG2728
山水菩薩庭園と観音堂 木漏れ日と語らい??
CIMG2806大光寺 CIMG2810井上士朗碑
パゴダ風の本堂(大光寺) 井上士朗碑

注1:禅隆寺は、紅葉の美しい秋には「寺院公開」されます(聖観音立像も見ることが出来ます)

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開館日とガイド実施時間

◆旧豊田佐助邸
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~15:30
ガイド常駐日:火、木、土
◆文化のみち二葉館
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~17:00
定時ガイド: 火、木、土
10:45、13:20の2回
30~40分
◆徳川園
月曜日休園
開園時間: 9:30~17:30
定時ガイド: 金曜日
13:00~15:30

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