”伝説の足跡”を訪ねて2「大幸八幡社」

 「紫陽草(アジサイ)や 藪を小庭の 別座敷(松尾芭蕉)」
 アジサイは花の色が度々変わることから七変化、萼片が4〜5個あるので四葩(よひら)とも言い“しぶく雨”との語らいはいかがでしょうか。
 雨が似合うアジサイの時期ですが、雨にまつわる伝説が今も息づいている大幸八幡神社(東区大幸4)を訪ねてみました。
 その昔、矢田川の堤防下にありながら、水の恵を受けられないまま田畑が枯れ、当地の住民は困っていました。そこへ旅の途中、通りがかった八幡太郎義家が内情を知り、ある場所に矢をさすと水が湧き出したという話が伝承されています。今でも本堂の東側には水の湧き出た跡が留められています。丁度アジサイと寄り添うように置かれていました。「水は天下からもらい水」と昔の人の心も偲んでいきたいものですね。

 社伝によると宝暦2年(1752)、大幸町の産土神(土地を守護して下さる神様)として創建され、昭和53年、社殿を造営し八級社に昇格しています。
 祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で第15代応神天皇です。
今も四季折々の行事は、時の移ろいを感じ且つ自然の恵みに感謝しながら地域の人々がお世話をし、古い歴史物語は継承されています。大正時代に奉納された狛犬も、本殿前で静かに佇み見守り続けているようです。

 境内には、震災記念石碑や御岳社石碑、末社をお祀りし、地域の人々に語り継がれているそうです。清掃の合間に木陰の下で、これはさざれ石かな?(思うとのこと)と教えていただき、“成る程”と納得したり、お婆さんから弘法大師の謂われを伺ったり、三密を避けながら繋がる歴史を知ることができました。久し振りにワクワク・ドキドキを味わいました。

 矢田川の水源地は瀬戸市海上の森です。そうです「愛・地球博」が行われた所です。ご存知でしたか? 
 その昔は世界的に一番小さいと言われる「ハッチョウトンボ」が江戸時代の蜻蛉譜に記されています。最初の発見だそうですよ。残念ながら今はなかなか見ることは出来ませんが・・・。
この川はその昔、かなりの暴れ川で明和4年(1767)の洪水は大規模で流路を大きく変えたそうです。矢田三丁目にある「長母寺」は、寺院の南側を川が流れていたのが、洪水で流路が変わり現在は寺の北側を流れています。昭和の初めに行われた工事で現在の形になりましたが、大自然の脅威を感じます。現在は、様々な草花や野鳥などが生息する穏やかな自然空間となっていますが、大地を踏みしめ歴史の散歩をされてはいかがでしょうか。

   静寂の中に・・   水の湧き出た姿を今に
  弘法大師と御嶽社石碑  アジサイが寄り添って
  末社と震災記念石碑      百度石
 矢田川も今は穏やかに流れ    さざれ石かな?

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