まち歩き「由緒ある町名を探して」

まち歩き「由緒ある町名を探して」

「白露も こぼさぬ萩の うねりかな(松尾芭蕉)」

 9月8日は二十四節気の白露です。白露は朝の光に輝く露の美しさを表しています。そして秋が近付くと紫の花が咲くと言われるように、ハギ、キキヨウ、オカトラノオ、ホトトギスなどの花が目につくようになってきました。中国では秋のことを「白秋」と言うそうですし、露の美しさは花や宝石に例えられることも多いですね。秋を探しに出掛けてみましょう。

 今回は,桜通線高岳駅から泉2、3丁目を巡ってみます。ここは市の中心部にあり、歴史的にも由緒ある地域です。旧町名は職業や風景、環境などに由来するのが多いのではないかと思われます。ここには江戸期以来の町名、鍋屋町、明治期に成立の七小町などがありました。現在の新表示「泉」は今後ますます人、富、幸が湧き出ずるごとく発展するようにとの意が込められているそうですよ。続く

 41号線の起点(高岳町交差点)を北に向かいます。当時の町名の由来を紐解けば「なるほど」と当時の風景が蘇ってきます。例えば鍋屋町は清須越しでここに引っ越してきた職人の住んだ場所です。現在、鋳物師(いもじ)水野太郎左衛門跡(2代目の分家)には、鍋屋町筋と国道41号の交わる南東角に名古屋市の標札が建てられています。建物は戦災で消失し現代風になり、キッチン用品の販売をされ、現当主は15代目だそうです。また数軒東には、御釜師加藤忠三郎家「紫金堂」があり、現在12代目だそうですよ。ぐっと江戸時代が近づいて来ませんか。

 明治期成立の町名には、七小町、小川町などがあります。七小町は、もとは鍋屋町裏と言われ町名はなかったようです。この付近にあった高岳院、善光寺、養蓮寺、遍照院、普蔵寺、正覚寺(後、円通寺墓所)東漸寺の七ヵ寺門前を合わせて七個(小)町(いつ「個」から「小」に変わったかは不明)と言われていました。昭和51年の住居表示により、現在は泉1丁目となっています。名残としては七小公園として名前は残っていました。街中の喧騒が嘘のように静かな地、子どもたちの癒しの空間が広がっていて、木陰では大人もほっと一息入れることができる公園です。

七ヵ寺の一つでもある遍照院は当時の場所にありますので立ち寄ってみました。ここは、「お地蔵さん見つけた」で以前取り上げましたが、道路沿いにお地蔵様がずらりと並んで、道行く人々を優しく見守っています。少し離れた場所に、伝説の足跡として残されている「舎人公園」や、三十三観音の祀られている「室寺」などがあり、古への旅を楽しむことが出来ると思います。路地奥には昔懐かしい建物も見られます。ゆったりのんびり歩みながら探して “今とむかし”を想像してみては如何でしょうか。

七小公園//

 

舎人公園
遍照院とお地蔵さま 
現在の鍋屋

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