白壁町三丁目にある長久寺に「名古屋市指定文化財(有形民俗文化財)」の庚申塔があると聞き訪ねてみました。
文化財には、以前ご紹介しました県庁・市庁舎・市政資料館のような「国指定重要文化財」、その他「県指定文化財」「市指定文化財」などがあり、またそれが細分化され登録されています。東区にも多岐に亘る貴重な文化財が指定され保存されています。
長久寺は清洲越しのお寺で、名古屋城の鬼門鎮護の役として城から東北に据えられたそうです。遡れば松平忠吉が武蔵国忍城で城主であった頃に祈願所とされたのが始まりとのことで、その後も歴代藩主から手厚い保護を受けていたそうです。本尊は木像不動明王像で、智澄大師円珍(空海の甥)の作と伝えられています。明治4年には、藩廰(はんちょう)の布告により、名古屋市内では初めて小学校となった由緒あるお寺のようです。
また、川上貞奴は二葉御殿(注2)仏間に祀っていた不動尊を、長久寺に寄進しているそうです。
惣門(山門)は清洲城の裏門が移建されたものといわれ、これも「市指定文化財」となっていて、構造形式は三間薬医門に属するものとのことです。
この長久寺の前庭中央に、目指す庚申塔はありました。祠の中央には頭の尖った石碑に青面金剛(本尊)が、うずくまった鬼の上に立ち、勇ましい顔をして三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)を従えて立っています。この庚申塔は、庚申信仰(注1)の伝わり方を示す資料として、昭和53年4月27日に指定されています。また刻銘に寛文8年(1668)武州上之町とあり、台座には8人の名前が彫られていますが、永い間、風雨に晒された為、はっきり解読する事は難しい状態でした。
空襲被害も免れ、惣門(山門)、庚申塔、本堂は当時の建物が今も残る貴重な寺院であることも知りました。御朱印をいただきながら、貴重なお話を伺うこともでき、折からの寒さも忘れさせてくれた冬の1日でした。(長久寺庚申塔の縁起・案内書、ひがし見聞録、名古屋市暮らしの情報参照)
清須越しの惣門 | 本堂 |
庚申塔 | 青面金剛、三猿 |
大師堂 | 境内にはお地蔵様が・・ |
注1:庚申待(こうしんまつり)の謂われは、人間の腹の中にいる虫が、庚申の夜、天の神に罪禍を告げないように、庚申様の前に集まって朝まで語り明かし、災厄を避けるというもの
注2:現在は文化のみち二葉館(東区橦木町3)として移築、復元されている。詳細はこちらからどうぞ
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