下街道を歩く3「本覚寺」

 今回は下街道の途中にあるモダンな建物「本覚寺」を訪ねました。永正12年(1515)に江州(現滋賀県)で「妙子庵」として建立されたのが始まりで、その後、甲州(現山梨県)から清州へ移り清州越しで大曽根坂上に移転「本法寺」と改めました。現在地(旧大曽根坂下)へは正保5年(1648)に移り「本覚寺」となりました。震災、戦災によって焼失し再建、平成3年に新たに建立した現代風の寺院となりました。尾張藩六代藩主継友により尾張藩御目見地、永代聖人地となりました。尾張徳川の由緒寺院といった歴史を大切にすることもあり、「東区ふれあい・いきいきサロン」に認定され、地域の方々との繋がりや交流を大切にしている寺院だということを痛感しました。 

 現在の本覚寺は国道19号線に面していますが、元は下街道(本覚寺裏の東側道路)側に門があり、19号線辺りは墓地であったそうです。昔の様子、面影を物語るものも少なくなってきているようで、ちょっと残念です。

 去る2月11日に行われた大荒行堂「帰山奉告会」に参加させていただく機会を得、大変壮観且つ厳粛なものを目の当たりにすることが出来ました。ただ新型コロナウイルス禍による影響で報告が遅れてしまいました。その時のお話の中で印象に残った言葉は「信頼」でした。「信じて頼ること」と広辞苑には記されていますが、仲間を信じて頼ることは、私共ガイドにも通じるのではないかと、ハッとさせられました。お互いを信じそして寄り添い助け合う気持ちを一層大切にしていきたいと深く心に刻みました。

 本堂内にある真新しい大きな大黒天が一際目を引きました。今年の干支は「子」ですが、鼠は大黒天の使いと聞きます。何か縁(えにし)を感じましたが、これは「むすび大黒」と呼ばれるそうで、この中に体内仏として先代の大黒天が入っているのだそうです。ちょっとびっくりしましたが、やはり“大黒さまは福の神さま”で「甲子の日」は御縁日です。打ち出の小槌を担ぎ「幸いあれ」と願うそうです。頬も緩みますし、あやかりたく思いました。

 本堂の左端は法華経の守り神である鬼形鬼子母神(きしもじん)があります。戦災により尊像は焼失しましたが、当山22世により本堂と表道路側に安置されています。道路側子安鬼子母神には、新型コロナウイルス終息の祈願がされていました。
 また1本の木から4体の日蓮聖人像が彫られた「四高祖」が祀られています。これも戦災で焼失し2代目だそうですが、多くの方に崇拝されているとのことでした。新たな出会いを求めて散策に出掛けてみませんか!(本覚寺由緒書き、本覚寺HP、ご住職様聞き書き、帰山奉告書、いきいきサロン情報等々参照)

お寺?!寺名ははっきりと・・  道路沿いの子安鬼子母神
   左・鬼形鬼子母神    2代目四高祖
ご宝前にて奉告会(厳かに)   大きなむすび大黒
  名鉄駅から帰山行列    尾張名陽図会

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