2017年の世相を一字で表す今年の漢字が、「北」に決まりました。応募総数は15万3,594票のうち、「北」は7,104票を集めたということです。
 北朝鮮のミサイル発射騒動、九州北部豪雨、プロ野球北海道日本ハム所属の大谷翔平選手の移籍や清宮幸太郎選手の入団、キタサンブラックという駿馬・・・が注目され選ばれたそうです。
 清水寺の森貫主は、「北は互いに背きあっている字。皆が向き合い、話し合う努力を続けていくことを大切にして欲しい」と語っています。向き合い寄り添うことが、ガイドにも通じるのではないか、そんなことを考えながら、短日の師走の町を歩いてみました。

 年の瀬の慌ただしさの中、建中寺を訪れてみました。その時、普段はちょっと気づきにくい匠の技をご紹介しましょう。それは本堂の東、西、南の回廊で見ることができる柱の埋め木です。これは天明の大火の後、再建のための要材のゆとりがなく、柱の節痕に縁起物や動植物などで形取り、修復した江戸の宮大工の技だそうです。数えてみたら30余箇所、探せばまだまだあるかも知れません。時代の変遷とともに、今は何でも手に入る時代ですが、貴重な材料を大切に使う姿勢は次世代へと繋いで欲しい伝統文化だと思います。
  この他にも建中寺の総門横、山門横の寺標も元は墓石であったようです。いずれの作品も、当時の時代が反映されているのでしょう。想像しながらの拝観も、時には楽しいひとときだと思いますが、如何でしょうか。

  学ぶといえば、東区役所の西にある東橦木公園の樟(くすのき)の根元にひっそりと「愛知県明倫中学校跡」の碑があります。東区は名古屋市の「学校教育スタートの地」とも言われるように義校(注1)の発足も早く、明治以降、この辺りでは新しい国を造る人材育成のための教育への思いが大きかったのでしょう。
 明倫中学は、明治22年(1889)尾張徳川家18代徳川義礼がここに武揚学校を建てたことで産声をあげました。その後、幾多の法改正などを経て現在は県立明和高校となっています。そのほか、現在の名古屋の中学・高校の教育を推進している学校の殆どがこの地域で誕生し発展しています。学区の教育の歩みを紐解いていくのも楽しいかも知れませんよ。(ひがし見聞録・広辞苑参照)

 注1 義校 師匠が個人的に指導する寺子屋のような教育施設より、公共的な色合いを強く持つ民営の学校。明治4年(1871)名古屋に創設、72、3年ころ、愛知県・岐阜県で多数設立。後に小学校となる。

  建中寺本堂   三門扉(葵紋)
  総門の寺標 屋根瓦(降り鬼と留蓋→獅子)
  回廊の埋め木 匠の柱の節痕修復
  県明倫中学校碑 区役所横のハクモクレン