前回は町並み保存地区、主税町筋の銘板をご紹介しました。今回は、長久寺町から長塀、白壁、主税、橦木町までの南北の筋「鳥屋筋」(注1)をご案内したいと思います。
その昔、暮春の頃は酒さかなを携えた風流人が、花見(ヤマブキの花)をしたという山吹谷公園辺りまでを歩いてみました。
道路沿いに、首塚霊神の幟列が揺れていました。前の道から南へ向かう急坂、昔は「首塚社様の坂」と呼ばれていたようです。首塚社(注2)の前の道は東区ですが、首塚社は北区になるという意外な境界でした。一寸寄り道をすると、その東には蓮池弁財天があり、ここには加藤清正の大きな手形がありました。この辺りに昔の面影は殆ど見つけられませんでしたが、以前紹介した二葉邸趾はモダンなビル(マンション)になっていました。出来町通りを越え、町並み保存地区へ進むと、ノーベル賞を受賞された小林誠氏宅跡(現在は駐車場)や、今風の瀟洒な建物と、昔の面影を残した町並みが融合する不思議な場所にたどり着きました。山吹谷公園では夏の風物詩?蝉の大合唱が迎えてくれました。今年は戦後70年・・公園の片隅には、その爪痕、空襲の犠牲となられた第三高女の方々の碑がありました。普段、気づかずに通り過ぎている小径にも、昔を語り、平和を希求する足跡が残されていました。
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首塚社の幟旗と坂 | 右、加藤清正の手形?! |
保存地区、今・昔 | 右、尾張藩士、高梨五左衛門邸跡の石柱 |
大正時代の長屋 | 屋根神様、今は祠だけに・・・ |
山吹谷公園 | 旧市立第三高女 校碑と爆撃の碑 |
注1:藩政時代は武家屋敷だったが、その後、町屋となり町人が小鳥を売っていたことが町名の由来という
注2:尾張藩、竹腰家にまつわる伝説から造られたといわれている。ご神体はホラ貝
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