「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ(服部嵐雪)」
梅は、別名を匂草とも言われるように、馥郁(ふくいく)たる香りに、凛とした可愛い花に春の訪れを感じます。天気予報を聞いていましたら、春は光、音、気温の三段階を経て来るのだそうです。皆さんも春を肌で感じてみてはいかがでしょうか。
穏やかな晴天に恵まれた2月26日(土)に、毎年恒例の「カッチン玉まつり」が六所神社(矢田南2)で開催されました。今年はコロナ禍での規制も緩み始めたこともあり大勢の人で賑わい、境内、周辺道路には露店が立ち並び活気に満ち溢れていました。「春・青空・柔らかな光・澄み渡る音など」に、皆さんの心も晴れやかで優しい笑顔が溢れていました。宮司さんに伺ったところ、「過去の最盛期には及ばないが、平穏な日常が戻ったように感じた」一日でした。
本殿横には可愛い白梅が満開で、凛として華やかな雰囲気を醸し出しています。いずれは実施したいとの思いで子供神輿も展示されていました。神輿横ではカッチン玉と一緒の写真撮影も盛況で順番待ちの列ができていました。
カッチン玉とは、竹の先に白・赤・青・黄の飴を丸く練り固めたもので、毎年2月26日の例大祭の日にしか買うことが出来ないものだそうです。
カッチン玉の由来は諸説ありますが、明治の初頭頃に社頭の賑わいを増幅させるために作られた飴菓で、一説には、六所の森は古木が鬱蒼と茂り昼なお暗く、神域も六反と広く、蛇や蝮、藪蚊が多く出たので、用心のため竹や棒の先に松明や藁束を燃やして森に入った。この松明の形どったもの、また一説には昔話の貴人夫婦の安産にあやかり、子供の臍の緒を形どったものを「カッチン玉」と言ったとか。他には子供たちが飴をぶつけ合う音の響きからとも言われているそうです。昔から六所神社の氏子には難産の婦人はいないと言い、赤痢が流行した時にも矢田村では一人の患者も発生せず難を逃れたと言われており、子供の安産、生育、厄除けなどを願い多くの方が参拝に訪れているそうです。
祭神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)です。創建は古説では、建久年間(1190~99)と伝えられ、文献では、尾張二代藩主徳川光友の時代、公の命により寛文年間(1661~73)に編纂された書物「寛文村々覚書」に「六所大明神、社内六反歩…」とあり、「尾張徇行記(1792~1822)」矢田村の項には、「六所大明神、視界内の六反…六社ハ北武士郭ノ北、林中ニアリ」と書かれています。
末社の龍神社は中日ドラゴンズの縁起の良い社としてシーズン前に球団の社長、監督、選手が優勝祈願に訪れている。
(六所神社由緒、ひがし見聞録、名古屋むかしばなし散歩道参照)
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