8月7日は二十四節気の立秋で、秋の風が吹き始める時期をいいますが、実際はまだ夏ですよね。とはいえ、昼間の時間は日に日に短くなり、朝夕だけでも涼しくなる時期が待ち遠しい頃になりましたね。
今年は戦後80年ということもあって、メディアや報道などでも種々特集が組まれ注目を集めています。そんな折、名古屋陶磁器会館にて、「戦後80年記念展」が開催されていると知り、以前から気になっていた「陶製手榴弾」の経緯を知りたくて早速出かけてみました。
陶製の手榴弾は、金属製のものと比較して効果は十分に確認されていないけれども、殺傷能力が劣っていたとも言われていたそうです。金属供出は耳にしていましたが・・戦争と直接関係があったとは少々驚きました。その他にも缶詰代用容器として防衛食容器なども作られたようです。
「Occupied Japan(オキュバイトジャパン) ~占領下の日本製~」とともに記念展の一角に展示されていましたが、説明書を読み進むうち、初めて知る事実にびっくりしました。金属供出はガイドの折にお話することもありますが、陶器などの使用は全く知らないまま過ごしていました。戦争の悲惨さを実感し学びの大切さも痛感しました。陶磁器製代用製品は、国内に原料が豊富で原価も高くないことが利用された要因のようですね。一つ一つの説明が丁寧に記されていますので、実際に見て感じてはいかがでしょうか。10月3日(金)まで開催されていますので、少し涼しくなってからでも大丈夫ですね。
日本の戦後復興の礎となったのが、海外向けの輸出にあったようで、「GHQ(連合軍司令部)」から認められ作られるようになった。輸出品には「オキュバイトジャパン」刻印(陶磁器の裏底)をつけることが条件でした。陶磁器の刻印も展示され見られますので、ゆっくり観賞し当時を思い巡らせ、その厳しい措置を伝承していくことも大事かなと思いますがいかがでしょうか。
今回の展示を通して、戦後生まれの人が90%を占めるようになったと言われている現在、歴史を伝えていくことの大切さを学ぶ良い機会でした。ぜひ皆さんも当時に思いを馳せ、今の平和を大切にしていきたいものですね。感じ方、捉え方は『みんな違って みんないい』の言葉のように“あなたの価値観”で良いと思いますよ。(会員写真提供含)
山吹谷公園の一角には、爆撃を受け犠牲となった「市立第三高等女学校(現旭ヶ丘高校)」の生徒さんを悼み、石碑が立てられています。当時を語る方は少なくなり、悲劇を風化させないようにとの願いも込められているのでしょうね。新聞で当時の詳細を知りました。“今を大事に”過ごしたいと思います。戦後80年記念展を見学し、感銘を受け記しました。








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