新緑に誘われ、東区の東北部、矢田川南岸にある長母寺を訪ねました。長母寺は平安末期、豪族山田次郎重忠が母の菩提の為に創建、その後、無住国師によって再興されました。
当寺は尾張万歳(注1)の発祥の地と言われています。また無住国師入廷の折りの伝説、「ひのきの芽の寄生木(注2)」があります。山門(注3)を潜り、本堂(注:3)に向かう石畳を進むと左手に荘厳な弘法大師像が飛び込んできました。その手前の木立の中に「無空々々碑」の歌碑が木漏れ日の下に現れました。これは尾張藩士「石井垂穂」の歌碑だそうです。横には碑陰と思われる文字が刻まれていました。「もし娑婆の功徳を 閻魔問ふならば はか糞肥えにしたと答えむ 垂穂」だそうですが、長い風雪を経て「垂穂」の文字しか判読出来ませんでした。この歌碑は当時の位置とは異なっているとのことでしたが、そこにあるのは、それぞれ大変な歴史、伝説のあるものばかりでした。(お庫裏様のお話・当会マニュアル参照)
無住国師入廷地碑 | 無空無空碑 |
弘法大師像 | 本堂 | ツバキの木に宿り木 |
注1:尾張万歳は無住国師が法華経を分かり易い言葉にして歌えるようにしたもの
注2:寄生木は、ツバキ(現在のツバキの木は原木ではない)、サザンカなどに着いている
注3:山門・本堂・庫裏は登録有形文化財
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