石造物
”伝説の足跡を訪ねて”9「赤塚神明社、あの人形が欲しい」
「夏至今日と 思いつつ書を 閉ぢにけり(高浜虚子)」
6月21日は夏至で「日長きこと至る(きわまる)」という意味があり、最も昼の時間が長くなります。これから夏の盛りに向かっていきますが・・・。
今回は神明社に伝わる伝説を訪ねてみました。神明社の沿革を見てみますと、創建は元和2年(1616)となっていますが、諸説あり700年前とも言われているなど大変古いそうです。従って、不詳とのお話しでした。氏神様として近郷の方々が崇拝しお守りしているそうです。
今回は豊臣秀吉にまつわるお話しです。お祭りで母親に買って貰った人形が、回り回ってこの神明社に収まっているのだそうですよ。古と今を繋ぐ糸を手繰り寄せてみましょう。
’伝説の足跡を訪ねて”8「舎人町」「萱町、文殊菩薩の生まれかわり」
東区の町名に関係する伝説も幾つかありますが、今は公園の一部に残っているだけになってしまいました。前回(西二葉公園)に続き伝説の足跡を探してみたいと思います。古い町名には生活に密着した歴史や、当時の自然環境などを知る貴重な手がかりがあると思うのですがいかがでしょうか。
①舎人町(とねりちょう)現、泉3
この謂われは諸説ありますが、現在は東区泉3丁目となり当時の面影はなく、公園にのみ「舎人公園」として名前が残っています。
②萱屋町(かやまち)現、泉3
この謂われは、町内のどの家も“カヤぶき”であったので付けたそうですが、確かに今は‘カヤぶき“は見かけなくなりましたね。
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’伝説の足跡を訪ねて’7「竹藪地蔵」・「子安地蔵(観音院)」
東区に伝わる伝説には、お地蔵様にまつわるお話しが沢山あります。
今までも幾つかご紹介してきましたが、いつでも優しい慈眼を注いでくれています。なかなか収束のみえないコロナ禍の中、平安を求め今回は白壁2丁目(旧町名→清水町、長塀町、東二葉町、西二葉町)周辺を歩き、3箇所でお地蔵さんを見つけましたよ。
①国道41号線の道路脇(清水口交差点から北へ100m)に“竹藪から出たと
伝えられるお地蔵さん”が祀られています。これは延命寺蔵さんだそうです。
②西へ小路を進むと清瀧寺。ここにも地蔵堂がありました。西二葉公園(地名だけ残る)脇を通って七尾天神社前を通り、明和高校北の小路へ、
③観音院・山門の西に子安地蔵さんと水子地蔵さんが優しく微笑んでいました。民家に囲まれた静かな町並みの中にありました。
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お知らせ「首塚社が廃祀」に
首塚社という何だかちょっと怖そうで・・そして意味ありげな名前が付いた社があります。(東区金城学園中学校の西、中産ビルの北)
その昔、前の坂は「首塚様の坂」と呼ばれていたそうです。玉垣に囲まれた「首塚霊神」と書かれた白い幟旗が目印になるかと思います。
ある日、1枚の掲示された紙面を見つけました。(再度訪問の折には見つからず)それには令和4年5月26日をもって、諸般の事情により「首塚社」が廃祀されること、同日の午前10時30分から神事が執り行われると書かれていました(雨天決行)。これは一大事です。また貴重な歴史的遺産が姿を消してしまうという残念なお知らせです。まだ暫く時間がありますので、謂われや伝説を紐解いてみてはいかがでしょうか。
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伝説の足跡を訪ねて6「へちまの薬師様」東充寺
東充寺は東区(東桜2)にある西山浄土宗のお寺で、別名「へちま薬師」とか「お薬師さん」と呼ばれて親しまれています。
へちま薬師と呼ばれるようになった由来は、今から250年くらい前(江戸時代)のことです。当時の住職、温空上人が托鉢の途中急に疝気に襲われ心の中で薬師如来のご加護を念ずると、一人の老僧が現れ、今に伝わる「へちま加持の秘法」を伝授された事によるものです。この秘法をありがたく思われた上人は、この秘法を持って世の人々の病苦を取り除かれたと伝えられています。それから、お寺には「へちま」を持って大勢の人がお参りに来るようになったそうです。縁日は8日で、一寸ほどの「へちま」で、痛いところをさすり、身代わり薬師様に悪いものを身代わりしていただくのです。
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