前回の「武平通り」の途中で、東桜郵便局(東桜一丁目)の十字路北東側に「飯田街道〈0〉→(注1)」の指標を見つけました。小さな交通標識くらいの大きさで、青色の文字は余り目立たず、注意深く見ないと通り過ぎてしまいそうです。ワクワク・ドキドキ、好奇心旺盛な気持ちで矢印に従って歩いてみました。
この辺り古民家が残っており、冨士中学校校庭南にある陸橋には「駿河町歩道橋」と書かれて昔の名残を留めています。街道は名古屋高速都心環状線を潜り南東へ進むと、「はじまり童子の像」が道行く人々を優しく見守っていました。この像は飯田街道起点を示す像で、厄除けや愛情の象徴として矢を持ち恵方を向いて立っていると書かれていました。その先五叉路の脇にまた、また街道散策路標識、「〈0〉飯田街道→」の指標を発見、このあたりは清須越しで有名な東寺町周辺で、幾度となく通っていたのですが、今まで指標には全く気づきませんでした。新しい道路に分断されたため、真っ直ぐ進むことは出来ませんが、街道は先へと続いています。
街道沿いにある西蓮寺の門扉には武田菱が付いており、本堂には「風林火山」の旗(通常は見られません)が掲げられているそうです。清須越しの寺で、極楽浄土へ導かれるという「二河白道(にがびゃくどう)浄土庭園(注2)」が有名です。明治初期には境内西側に学校が設けられ、東区誕生の際にはその空き校舎が区役所の仮庁舎になるなど、時代の変遷をずっと見守ってきています。
皐月の空や萌えだした若葉の並木と語り合いながら、埋もれそうになっている歴史探しはいかがでしょうか。(ひがし見聞録、名古屋の街道をゆく、東区の歴史参照)
☆当会では、皆様のご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。詳細はガイドについてからお進みください。
起点指標(右後方にテレビ塔) | 歩道橋から(右、起点指標へ) |
冨士中学校 | 五叉路の指標 |
門扉に武田菱が・・ | はじまり童子の像 |
注1:旧駿河町から寺町筋を通り市内では各所で分断されるが、平針、岡崎、稲武を経て飯田に至る道。家康が命じて開いた街道で駿河道・駿河街道とも呼ばれた(明治以降、飯田街道と呼ぶようになった)。また塩の道とも呼ばれ、信州に塩を運ぶ貴重な道であった
注2:浄土教の源である唐の善導大師の教えを説くもの(通常は非公開)
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 特にお寺の数が多いのは、名古屋市や豊田市、岡崎市などお城や城跡がある地域のようです。直ぐに思い浮かぶのは三英傑(信長、秀吉、家康)の存在です。当会がガイドをしている東寺町(40ヵ寺)も、家康の清須越しに際し城を防衛するのに有用との経験則もあってか配置されたようです。幾多の星霜をへて変貌はしてきましたが、信長の祖母、側室(吉乃)の母などの菩提寺があったりします。故きを温ね、由緒ある道を辿ってみられるのも一興かもしれません。 飯田街道はこちらからもご覧いただけます。 […]