今回は中部、短歌会の礎を築いた歌人、浅野梨郷(りきょう)氏の歌碑を紹介します。
場所は、徳川園里山のゾーン(四睡庵の西側)で、小径を行く人々に語りかけるかのようにゆったりと立っています。
「宇つりつつ 静かに色をかへてゆく 登与波多雲(注1)の 空のたなび起」梨郷
浅野梨郷(本名 利郷(としさと))氏は、明治22年名古屋市に生まれ、東京外国語学校在学中に伊藤左千夫に師事、斎藤茂吉らと共に勉強しました。卒業後は鉄道院などに勤務した後、昭和10年名古屋市に勤務し昭和16年52才で退職しました。昭和31年4月中部日本歌人会を創立し代表委員となり、中部の短歌会の礎を築きました。教育、学術、文化にも広く功績を残され叙勲を受けられました。その間雑誌「武都紀(むつき)」、歌集「豊旗雲」や随筆集「糸ぐるま」などを刊行されています。(冊子「東区文化のみちあれこれ(注2)」参照)
歌碑除幕式の日に(冊子「東区あれこれ」より転載) | 満開のサンシュユ |
変体仮名で書かれた碑 | サンシュユの木漏れ日が歌碑に注ぐ |
注1:登与波多雲・豊旗雲(とよはたぐも)は万葉集(巻1の15番)にも詠われていますが、
「トヨは美称」旗のようになびいている美しい雲(広辞苑)のこと
「海神(わだつみ)の 豊旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 さやけくありこそ」
万葉集・・(中大兄皇子)
注2:「東区文化のみちあれこれ」は当会発行の小冊子で「東区東片端・正文館」「徳川美術館」
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