標札を訪ねて 長母寺

 去る、4月1日(月)に平成に代わる新年号が「令和」と発表された。国内最古の和歌集「万葉集“梅花の宴“」の序文から引用されたものだそうです。梅は中国から渡来し鑑賞用として庭園などで栽培され、古来「花見」といえば梅であり、高雅な気品や美しさから和歌に詠まれた題材でもあったといわれています。

 今回は、「尾張万歳」発祥の地である「長母寺」を訪ねてみました。奈良時代中期の僧である「無住国師」が、伝教を説いて万歳を作り、弟子が節を付けたのが始まりと言われています。現在も無形文化財に指定され、毎年11月3日開催の「歩こう文化のみち」では、佐助邸に於いて披露され好評を博しています。

 訪問した時期は桜も満開・・木賀先公園の桜を愛でつつ、当寺へ足を踏み入れるとそこは荘厳な静寂の世界が広がっていました。長母寺の歴史を紐解いてみますと、はじめは天台宗の寺であったが、弘長2年(1262)に梶原景時の末裔と言われる無住国師が来住し、臨済宗東福寺派に改め「霊鷲山長母寺」として再興されました。その後50年、生活の中心は長母寺で、仏教の説話「沙石集」、「雑談集」など多くの著述を残しています。また貧しさに荒れがちな人々の心の強化に努め、法華経を分かり易く「説話話」として書き、節を付けて正月に村を回ったのが尾張万歳の始まりで、「門付け万歳」「御殿万歳」「三曲万歳」として、今に伝承されています。

 この長母寺には、無住和尚坐像(10/10開張)、沙石集版木(非公開)など数々の文化財が保存されています。また、本堂、庫裏、山門も登録文化財として貴重な建造物で、特に、山門は棟木を受けている細部の模様から、18世紀後半の作ではないかと言われているようです。時にはじっくり向き合ってみると意外な発見に繋がるかも知れませんよ。

 境内本堂前の、椿や榊などの木に「檜の芽」と呼ばれる寄生木が生えています。これは国師が入定の時、「私はこれからあの世に行くが、もしあの世に極楽があるなら、この木に檜の芽を生やしてやろう」と言われた。しばらくして種々の木々に檜の芽が生じたことから、国師の奇瑞の一つといわれているそうです。
 寺院の中にある、さざれ石や鐘楼、弘法大師像、お地蔵様なども境内の神秘さを演出し、思わず姿勢を正し、お参りをさせていただきました。掃き清められた庭園や周辺に “春”を満喫させてもらいました。
(長母寺縁起、日本古典文学全集、ひがし百年、尾張万歳をたずねて・・他)

    長母寺標札    無住国師入定地碑
 桜のトンネルが誘い・・  本堂(濃尾震災後再建)
 檜葉宿り木(本堂前)  庭園を優しく照らす春光
    弘法大師  さざれ石(揖斐川町より)

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