年始に干支(子)・七福神を・・

 あけましておめでとうございます。
 今年の干支は「庚子(かのえね)」、十二支で言うと「子(ね・ねずみ)」です。十二支の由来は紀元前1600年ごろの中国に遡り、日本には奈良時代に伝来したといわれ(諸説あり)、庶民が覚えやすい動物が当てはめられましたが、実際は植物の循環している様子を表しているそうです。「子」は「繁殖する・うむ」と言う意味から「孳(し)」という字が起原で、十二支の一番目に当てられています。
 ねずみは大黒天の“神使”だそうで、それぞれの字や動物に込められた願いや意味を調べてみるのも楽しいかなと「子・ねずみ」を探しに歩いてみました。

 まず、干支を紐解いてみましょう。干支は十干・十二支を組み合わせたもので60種類あります。その最初を佐助邸で見つけました。
 十干、十二支のそれぞれの最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が佐助邸2階の襖に記載(好文作)されています。「大正甲子(きのえね)・・・」は、大正13年のことで佐助さんが居住された年でもありますが、皆さんご存知の「甲子園」の命名もここからきているのです。この60年ぶりに出会う年で縁起の良さから「還暦」と名付け60才への到達を祝う風習があり、各地には干支に因んだ建造物・地名もあるようです。

 文化のみちにある陶磁器会館(徳川1)には、陶器で作られた「干支ボトルシリーズ」が展示されています。かつて輸出された陶磁器類が整理され、ずらりと並び、その歴史を垣間見ることもできます。今は可愛いお雛様も展示されて“ほっこり”見とれてしまいました。別の部屋ですが七福神もいましたよ。

 新春に因み、東区からは離れて「なごや七福神巡り」をしてみました。七福神の起こりは近世の始めで、現在の7人に定ったのは江戸も末の頃だそうです。大黒天は中川区の「如意山 宝珠院」にあり、御朱印とねずみの吉祥飾紙をいただくことができました(大国主命がねずみに助けられたという神話がある) 

 そして、見つけました徳川園の「七福神ぼたん」、“藁ぼっち”を被り優雅に気品溢れる姿はさすが花の王様ですね。今年も素敵な出会いを探して発信したいと思います。どうかよろしくお願い致します。

佐助邸近江八景(左端に記載)  陶磁器会館・干支ボトル
   名古屋七福神巡り  大黒様の神使のねずみ
   冬ボタン(七福神)    大須観音(布袋尊)
   福生院(毘沙門天)    萬福院(福禄寿)

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