お知らせ また、貴重な遺産がなくなります

以前、鳥屋筋散策でご紹介しました「蓮池弁財天」が無くなる・・との会員の情報に、早速訪ねてみました。ここは東区と北区の境界線上で、地名上では北区ですが、お隣さんのよしみで取り上げました。江戸時代、この辺りに蓮の咲く大きな池があり、この中に弁財天の祠が祭られていたそうです。その後、埋め立てられて蓮池新田(注1)と呼ばれるようになったが、その後も祠は大事に祭られており、今も大杉南公園の隣に存在しています。
この祠と並んで、加藤清正公の大きな手形石が据えられています。名古屋に於いて、清正公の人気は1,2を争う大変な武将です。この手形の由来は、名古屋築城の折に、岩崎山から石を運ぶのに稲置街道(注2)を通った清正を、村人が労い、手形を押して欲しいと懇願して戴き、その後それを模して彫ったものだそうです。地名も時の流れに逆らえず、由緒ある地名はどんどん少なくなってきています。
古老にその昔のお話を伺う度に“なるほど”と、往時を偲ばせる地名が現れ、そのつど納得して参りました。名前を伺う度に、せめて、何らかの形で後世に残せないものかと、苦悩していました。
最近「文化のみち」においても、江戸時代から続くお宅(注3)や、明治時代の貴重な建築物が取り壊され、とても残念に思います。蓮池弁財天、清正石は4月15日には引き払われるそうです(注4)。大事な遺産です、せめて直にご覧になり、脳裏に刻んでおいてはいかがでしょうか。(地図、文、蓬左84号、沢井鈴一著・名古屋の街道を行く 参照)

蓮池弁財天地図 CIMG3775
蓮池新田・・・ 蓮池弁財天
CIMG3769 CIMG3770
弁財天祠と手形石 加藤清正の手形

注1:元禄のころまで大きな池があった。その後蓮池新田が開発された。
蓮池の名は、現在の蓮池弁財天に残っている
注2:江戸時代、名古屋城下と犬山城下を結んでいた。犬山街道とも呼ばれた
注3: 居住されていた方のご要望でお名前は控えさせていただきます(現在は更地)
注4:ご近所の方にお尋ねしましたが、今後については分からないとのことでした

東区文化のみち ガイドボランティアの会

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