徳源寺「標石」・「キリ(桐)の花」

「桐咲いて 雲はひかりの 中に入る(飯田龍太)」
 徳源寺のキリが早くも咲き始め、バスの窓越しに妖艶に微笑みかけている姿にちょっとびっくりです。前年の果実(黒色卵形)も共存し、青空に聳えています。高貴な花に出会いに行ってきました。

 山門前の「標石一対」、「線香立て」は伊藤萬蔵の寄進したものです。萬蔵は明治から大正にかけて半世紀以上にわたり全国の神社や社寺に狛犬(物部神社、七尾天神参照)、標柱、灯籠などの石造物を寄進し続け、その数は千に近いといわれています。1927年(昭和2)94歳で世を去るまで、この活動を続けたそうです。この足跡は東区にもまだまだあるようですので、努めて見つけていきたいと思います。皆さんも見学の折、標石や狛犬をじっくり観察してみて下さい。

 【伊藤萬蔵】は、江戸後期に尾張一宮の農家に生まれ、農作物を名古屋に売りに来ていましたが、後には名古屋に出て商売を始めました。その側らで始めたのが石造物の寄贈でした。名前に因み1万の石造物を神社仏閣に寄進したいと祈願した人です。萬蔵の寄付と信仰の熱心さは良く知られていました。名古屋を主導した経済人「矢田績」が、この名物老人に寄せた追悼文で“慈善心に富み身を奉ずることすこぶる薄かった。富を得ても勤勉な生活を続けた”と述べています。実際に知る人は少ないようですが、町歩きで見えてくる貴重な石造物に一度ゆっくり向き合ってみたいものです。(東区文化のみちあれこれ(NO.6,伊藤萬蔵、東海の異才奇人列伝、中日新聞あいち賢人など参照)

 【徳源寺のキリの花】は、「ボダイジュ(菩提樹)、注1」と共に東区の名木に記載されています。東区は名古屋台地に位置し早くから開け、由緒ある神社・仏閣も多く名木・古木も沢山あります。徳源寺は臨済宗の妙心寺派の七大修行道場の一つで2本の桐の木が並んで植えられています。

 桐の謂われは諸説ありますが、成長が早く(15年くらい)切られてもすぐに芽を出すことから「切る」が転訛したともいわれています。中国の神話に登場する「鳳凰」は桐の木にのみ止まるともいわれ、高貴な紫色の花を咲かせます。日本でも神聖な樹木として皇室の紋章、勲章の絵柄、500円硬貨の図柄等々として大切にされてきました。これらに因み花言葉は「高尚」です。

 また、日本では女の子が産まれると2本の桐を植え、お嫁入りの時にタンスにした風習もありました。花を愛でる以外にも木の知識を深めていくと、これまでと違った接し方が出来るか知れません。百花爛漫の今だからこそじっくり、観察してみてはいかがでしょうか。(東区の名木、野の花、町の花他)
注1:ボダイジュはこちらから(https://higashibgv.com/wordpress/花情報/7769

   門前左の標石  伊藤萬蔵の表記(右面)
馬頭観世音菩薩石像前、線香立 線香立右面(建立月日表記)
  庫裏と寄り添って     青空と競演
   威風堂々として    八重桜は満開

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