東区の町名に関係する伝説も幾つかありますが、今は公園の一部に残っているだけになってしまいました。前回(西二葉公園)に続き伝説の足跡を探してみたいと思います。古い町名には生活に密着した歴史や、当時の自然環境などを知る貴重な手がかりがあると思うのですがいかがでしょうか。

①舎人町(とねりちょう)現、泉3 
この謂われは諸説ありますが、現在は東区泉3丁目となり当時の面影はなく、公園にのみ「舎人公園」として名前が残っています。  
②萱屋町(かやまち)現、泉3  
この謂われは、町内のどの家も“カヤぶき”であったので付けたそうですが、確かに今は‘カヤぶき“は見かけなくなりましたね。

①舎人の町名由来については、諸説ありますが、一つは尾張名古屋の初代の殿様「徳川義直」が、鷹狩りに出掛けた折、家来が「まだ舎人が参りません」と告げると、「ならば、ここで一休みしよう」と言われ一服されたそうです。舎人というのは乗馬の口取りをする「仁」のことだそうです。遅れて駆けつけた舎人に、「ここの地名は?」と尋ねられたが答えられなかった。そこで「遅れたそちの名を取って舎人と呼べ」と言われて付いた名前だそうです。他には昔、舎人八左衛門という武士の祖先が住んでいたという説もあるとか。

②萱屋町の谷汲山観音院室寺に伝わるお話(文殊菩薩の生まれかわり)
萱屋町の西側に「室寺」というお寺があり、浄土宗鎮西派で、京都の知恩院の末寺だそうな。ここに伝わるお話です・・・
 桓武天皇時代のこと、そのころ陸奥国に大口大領という人がおり、お堂を作り「11面観音像」をお祀りしようと考えた。京都で評判の職人に「観音様」を作って欲しいと頼むと、私は文殊菩薩様を信仰しているから菩薩様の力を借りて刻んでみましょうと、お経を唱えて赤栴檀(せんだん)の木で彫り始めた。ウトウトしている時、夢に一人の子どもが現れて「われ汝の彫刻を助成すべし」の声で目覚めた。この子は文殊様の生まれ変わりだろうと嬉しく、一層心を込めて彫ると円満な観音様が出来たそうな。陸奥へ持ち帰るのを、もう一体作るから待って欲しいと言い、二体目を作り始めると一体目同様に子どもが現れて助成してくれたそうな。一体目は陸奥国へ、二体目は美濃国の谷汲山の本尊にしたと聞いとるわ。そして、もう一つ、一尺五寸の小さな観音さんを刻んで職人(仏師)は京都の御室(みむろ)仁和寺辺りに小さなお堂を建て観音様をお祀りしていた。後に今から460年ぐらい前に室寺に知恩院のつてで、ここの本尊に持ってござったんだ。昭和20年の空襲でお寺は全焼するも「観音像」だけは焼けずに残った。御室(みむろ)辺りから移したので「室寺」という名がついたんだと記されていました。(東区昔話と伝説を尋ねて、東区の歴史他)

      舎人公園     穏やかな佇まい
   特徴のある標石       本堂
 33観音の最後は谷汲山   お地蔵さんも・・・
   公園周辺で咲く夏椿  公園周辺を彩るアジサイ