二十四節気の「穀雨」が過ぎ、早くも次の節気は「立夏」です。この時期の雨は「百穀春雨」とも呼ばれ、暦便覧(注1)に「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記され、雨も実りの季節に必要な命の水なのですね。街路樹も日々緑色を増し潤いの雨は一層若葉を際立たせます。

 今回は御下(おした)屋敷の「今とむかし」を紐解きながら、宗春の位牌を守る無量寿院(菩提所)を訪ねてみました。御下屋敷は宗春が蟄居謹慎をした場所で、藩は宗春の菩提を弔うために、尾張藩戸山屋敷(現新宿区)にあった尼寺の「精林庵」を薬草園北東部に移し、万延元年(1860)に「無量寿院」と改められ、今は静かに名古屋の町を見守っています。

 東生涯学習センター脇に「御下屋敷跡(葵一)」の標札があります。見過ごしてしまいそうですが、その昔、宗春が八代将軍吉宗と対立し蟄居謹慎していた場所でもあります。宗春については、様々な見解はあると思いますが、江戸時代に尾張は大きく発展し、現在根付いている「愛知の物づくり」や「芸所名古屋」の源流は宗春の時代に遡ることが出来るのではないでしょうか。

 御下屋敷は、二代藩主光友が造った尾張別邸で、江戸の尾張藩江戸屋敷庭園と同じような造りになっていたと言われています。七代藩主宗春は在任中からこの屋敷を好んでいたと言われ、御下屋敷の北東あたりにお薬草園(通称、御人参畑)を造成し、将軍吉宗より拝領した朝鮮人参を栽培していました。尾張藩で明治2年頃まで栽培は続けられたそうで、今は当時の面影を残す場所はごくわずかになってしまいましたが、その一つが「無量寿院(代官町)」です。

 無量寿院は、元々尾張藩主10代・斉朝公の命によって、宗春公をお祀りする藩の寺「精林庵」として武蔵国戸山屋敷(現新宿区)に建立され、その後名古屋の地に移されました。

 現在は、民家と見間違えそうな質素な佇まいですが、平成25年の宗春250回忌には大勢の方がお参りされ厳かに供養が行われました。私も厳粛な中でお参りした記憶があります。その後も毎年、宗春公の遺徳を顕彰するために、御命月には供養を続けていますとご住職様から伺いました。いつもは閉ざされている御門がこの日は偶然開扉されている幸運にも恵まれ、出会いの奇遇に「是好日」を体感しました。静寂と荘厳さの中にあるこの地で、往時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
 注1:太玄斎(常陸宍戸藩主 松平頼救)が記した暦の解説書
参考文献:ひがし百年、当会資料、名古屋市史、城下町復元マップ他、聞き取り)

   無量寿院標札    静かに佇んで・・・
  境内の一角にある石碑     お墓は平和公園に
   御下屋敷の標札    御下屋敷ガイドの様子
明治元年図(精林庵・無量寿院)    穏やかないでたち?!