下街道は木曽へ行く近道であり、善光寺に参拝される人も多く信仰の道でもあり、「善光寺街道」とも呼ばれていました。
 「蝋梅や 雪うち透す 枝の丈」芥川龍之介  
 雪中四花(注1)の一つ新春の香り高い花と言われる蠟梅の香りに誘われて、赤塚町にある熊野屋「下街道を歩く1参照」から出発です。出来町通りで分断されていますが、大木戸のあった北に向かって街道を歩いてみました。
 大木戸跡らしき位置から東に進むと国道19号線に阻まれますが、国道の東側を神明社から大曽根の坂を通り、幾つかの社寺に立ち寄りながら、瀬戸街道との分岐点の「道標」までをご一緒に辿ってみましょう。

 郷土の歴史や過去の日本を感じながら赤塚神明社に参詣しました。湊川神社から勧進し祀った馬に乗った楠木正成の銅像が、神社の一隅に建っています。銅像には「七生報国(注2)」と刻まれています。境内には豪壮な灯明台が二基立っていますが、ここから戦地に赴いた人もいたのでしょうか。拝殿東に織部燈籠(キリシタン燈籠)がありますが、花崗岩が永い月日で風化し建立された年月日は読み取れませんでした。

 神明社から、なだらかな坂を瀬戸電の森下駅に向かって狭い路地を進みますと、当時の面影を残す街並みに出会います。
 名古屋三景の一つと言われた関貞寺があります。寛永7年に草創され眺望の良い所から書院を七洲閣(注3)と命名されたと伺いました。明治28年には伊藤博文、桂太郎が訪れ精進料理の味覚や景色を楽しまれたようで、その際に所望されて桂太郎揮毫の「七洲閣」が掲げられています。また伊藤博文の扁額や七言絶句も残され寺宝だそうです(書院は未公開)。現在はビルやマンションに遮られ、往時の景色を見ることが出来ないのは残念です。

 祖母薬師(瑞忍寺)、妙義院、本覚寺を経て次の道標に向かいます。場所が大曽根地区の区画整理により当時の分岐点から薬師殿に移り、現在は大曽根駅のE6番出口脇にひっそりと置かれていました。多くの方のご協力を得てやっと見つけたときの感激は一入でした。該当地域の地理を辿り、過去と現在を垣間見たり、その間の素敵な出会いも散策の醍醐味です。是非皆さんも未知の世界を探索しお楽しみ下さい。(名古屋の街道を行く、関貞寺甚諸略記(聞き取り含)、東区史、城と城下町他)

注1:蝋梅、王梅(白梅)、スイセン、茶梅(サザンカ)
注2:七たび生まれ変わっても国に尽くすという忠臣を顕彰
注3:美濃、越前、加賀、近江、三河、信濃、尾張北部

   今とむかしを辿って    神明社標札
  楠木正成の銅像     境内七末社
   関貞寺の初春   境内で静かに佇んで・・
 大曽根の道標(ひっそりと)  大曽根道標銘板(説明板)