去る6月21日は、昼間が一番長い夏至でしたが、陽射しも心なしか強く感じるようになりました。そんな折り、「このお地蔵さんは???」と疑問に思い、ずっと気に掛かっている遍照院のお地蔵さんたちについて、ある偶然からこの疑問を解くカギを見つけました。以前にも幾つかのお地蔵さんをご紹介しましたが、そこには古くからの地域の人々との温かい繋がりが脈々と引き継がれた歴史がありました。

 この地(泉2)の周辺には歴史を今に残す、「井上士朗宅跡」、「尾張藩鋳物師頭、水野太郎左衛門宅跡」、「御釜師、加藤忠三朗家」などの標識を見つけることが出来ます。更に露地に入れば、普段見られない景色や人との出会いがきっとありますよ・・・・

  遍照院、江戸時代初期は地蔵堂であり、元和元年、堂守の僧侶、念宗和尚らが藩主義直に願い出てこの地を賜り念宗寺としました。その後「摂取山遍照院(知恩院末寺)」となったとのことです。境内には石造の五重の塔があり、寺の前の道路沿いには、三十三観音、お首地蔵様たちが並んでいます。観音様は、お揃いの赤いよだれ掛けがよく似合い、優しいお姿がそこにはありました。

 お首地蔵様の両脇には、石地蔵立像、子安地蔵があり、可愛い赤い帽子をちょこんと付け、道行く人々を静かに見守っていました。お首地蔵さんには軍人さんとの逸話があり、うわさを聞いて頭痛や目の病に悩む人々が遠くからもお参りに来たとのことです。この辺は、古くからの料亭や置屋さんが沢山あり、健康をお祈りする姿も見られたようです。現在もこの地蔵さんを,静かにお世話をする人々があり、その温かな気持ちが伝わり安らぎの空間がありました。

 大光寺の南に隣接して、江戸時代の医者で俳人、井上士郎宅があったそうで、今は門脇に井上士郎宅跡の標識と碑が残されています。インドのパゴダ(仏塔)風という本堂前の境内には、士郎の句碑が静寂の中に威厳をもって立っています。

 気づかずに通り過ぎてしまいそうですが、「尾張藩鋳物師頭、水野太郎左衛門宅跡」の標識が道路沿いに遠慮がちに立っています。建物は現代風に変わっていますが、創業永禄2年の文字には、信長より尾張国中の鐘、鰐口、釜などの鋳造の特権を与えられ、国内の製造、販売を独占していた時代背景が思いおこされます。また「御釜師・加藤忠三朗家之略記」の標識も近くにあり、多くの歴史遺産や思い出がつまっている、この地の散策をお楽しみください。
(参考文献:お地蔵さん見つけた。ひがし見聞録、当会資料ほか)

    本堂の扁額  ボダイジュがお出迎え(実)
  ずらりと並んだ観音様     お首地蔵さま
  井上士朗宅跡標識と碑   静寂の大光寺
 水野太郎左衛門宅跡標識   加藤忠三朗家之略記