「夏至今日と 思いつつ書を 閉ぢにけり(高浜虚子)

 6月21日は夏至で「日長きこと至る(きわまる)」という意味があり、最も昼の時間が長くなります。これから夏の盛りに向かっていきますが・・・。 

 今回は神明社に伝わる伝説を訪ねてみました。神明社の沿革を見てみますと、創建は元和2年(1616)となっていますが、諸説あり700年前とも言われているなど大変古いそうです。従って、不詳とのお話しでした。氏神様として近郷の方々が崇拝しお守りしているそうです。

 今回は豊臣秀吉にまつわるお話しです。お祭りで母親に買って貰った人形が、回り回ってこの神明社に収まっているのだそうですよ。古と今を繋ぐ糸を手繰り寄せてみましょう。

  神明社は寛文6年(1666)尾張徳川家八神社の一社に指定されています。その後戦災に遭い大部分を焼失、また都市計画で境内が3分の1になるなど変遷を重ねてきました。平成19年には不審火により本殿と御神輿が全焼するなど様々な事象を経て現在に至っているとのことです。
 境内七末社が奉られていますが、七末社は珍しいとのこと。楠木正成公の銅像は、尾張藩の勤王の志士たちによって湊川神社が創建されたそうです。何故ここにあるのかの不思議が解けました。鳥居には60種以上の種類があるそうですが、
神明社には二基の鳥居があり、正面は伊勢鳥居、末社は八幡鳥居とのことで、観察してみると違いが分かりました。一つ一つの意味や特徴をゆっくり観賞してみることの大切さを痛感しました。皆さんも時にはゆっくり、まったり心静かに観察してみてはいかがでしょうか。「と・き・め・き」の発見があるかも知れません。

 さて、伝説に戻りますが、神明社にある天神様のご神体のお話しです。名古屋の中村で生まれた太閤様(秀吉)の持っていた人形だそうです。中村の百姓の息子として生まれた一人の子が、村の鎮守(日の宮神社)のお祭りで、「お母さん、ボクあの人形が欲しい」とねだったそうです。泥土におがくずを混ぜて造った神様の像で、母は、天神様の泥人形を買ってあげたそうです。子どもは天神様のように偉い人になろうと大事に、大事に持って帰ったそうです。この子どもは後の太閤秀吉だそうです。母親に買って貰った泥人形は回り回ってこの神明社におさまり、出世天満宮として大勢の人がお詣りにみえたそうです。
 ふっと秀吉の立身出世が思い浮かびますが、見えないところでの様々な努力の足跡を知ることも伝説が伝承されてこそですよね。境内は保存樹に覆われ、喧騒の世界からひととき静寂と和みの世界を堪能しました。皆さんも長引くコロナ禍ですが、規律を守りながら風の音や匂いと向き合ってみてはいかがでしょうか。
(神明社沿革、ひがし100年、東区民話と昔話をたずねて、聞き取り他)

  伊勢鳥居(神明系)       本殿
   楠木正成公     境内七末社
 末社前の八幡鳥居(明神系)        百度石
  切支丹燈籠(寄贈)    境内を彩って・・