報告「センターの周りは歴史がいっぱい(第1回)」

 「十月の 楡の落ち葉を はやふみて(山口青邨)」

 去る10月20 日(金)、NEM講座「センターの周りは歴史がいっぱい(懐かしの写真と御下屋敷跡を歩く)」が行われました。当日は爽やかな秋の陽気に誘われ和やかな町歩きとなりました。時の流れとともに″昔から今へ″変貌を遂げている御下屋敷跡を巡る旅へ出かけました。期待と懐古が交錯する、活気あふれる場所でした。

 最初の概要説明では、食い入るように聴き入る人、熱心にメモを取る人、頷きながら納得?する人など、期待の深さが見受けられる活気あふれる現場でした。ちょっとびっくりしましたが、皆さんの興味の度合いがひしひしと伝わりました。

 現場では、今は無き昔の姿を1箇所、1箇所にパネル(写真)を使用して丁寧に説明しながら進みました。皆さんの納得顔が印象的でした。現在につながる変遷の説明もあり、いつもとは違う歴史への関心度も高まったのではないでしょうか

 「昔はここに市電が走っていました」に、「ええ~?」とびっくりする人、「そうそう」と相槌を打つ人、その昔を語り始める人々、和気藹々と意見交換される場面もありました。

今はなき面影を連想させつつ、現実への変化・変遷をさせる作業を楽しんでいるようでした。次回の東寺町めぐりへの期待も大きく膨らんだことでしょう。

その結果、充分に御下屋敷の広さを実感されたのではないでしょうか。有意義な「まち歩き」になったと思います。

 御下屋敷は、延宝7年(1679)尾張藩二代藩主光友が造った尾張藩の別邸です。現在の葵二丁目から代官町にかかる6万4000坪強と広大な土地に、“尾張藩江戸下屋敷”の池泉回遊式の庭園と同じ造りになっていました。風景は時代とともに変遷しましたが、後に徳川宗春が蟄居謹慎になった場所でもありました。御薬園御人参畑では、将軍吉宗から拝領した人参7本と甘草10本を育てたのが薬園の始まりといわれています。これを領民にも分け与え、後に尾張に多くの医学の志を目指すものが集まる基になったといわれています。また、宗春の菩提を弔うため戸山屋敷地内にあった尼寺「精林庵」を、薬草園北東部に移しています。万延元年(1860)に無量寿院と改められ、今も御命月には宗春の菩提を弔っています。
 その他にも見所満載で、皆様の意気揚々とした姿からは疑問などが解明され、新たな一歩になったことと思います。

 今回は2回連続講座の1回目です。2回目は10月29日(日)に開催されます。

概要説明
センターは御下屋敷跡
プールもあったホテル跡
築山があった?
昔の面影を求めて
にれのこみちを辿っていくと…
むかしと今を比較して
爽やかな風に後押しされて

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