「東区文化のみちガイドボランティアの会」が名古屋市東区「文化のみち」の魅力を紹介します
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銘板を訪ねて (御下屋敷、カトリック布池教会)

前回の東寺町散策研修会の帰途・・地下鉄新栄駅前(ヤマザキマザック側)に銘板を見つけました。この周辺は江戸時代、尾張徳川藩の別邸で、6万4千坪もある広大な御下屋敷(注1)があった場所です。そして今、東生涯学習センター南の道路際に標識が残されています。

吉宗との対立で、この屋敷に蟄居となった宗春は、在任中からこの屋敷を好んで使用していたようです。明治以後、大正期までは畑や小山として残されていたようですが、今は道路も整備され近代的なビルが建ち並ぶようになり、様変わりになっています。銘板の直ぐ横には大きなクスノキがそびえ、100年以上にわたって、この町の変遷を見続けるかたわら、道行く人々に爽やかな木陰を提供してきています。

 

少し足を延ばして芸創センター、東生涯学習センターの道路脇の「御下屋敷跡」の標識を見ながら東へ向かうと立派な尖塔(注2)が見えてきます。ここは、市の都市景観重要建造物等に指定されている「カトリック布池教会(注3)」です。戦後の建造物で指定されているのは、名古屋大学豊田講堂とこの教会のみです。現在の聖堂は、昭和37年に建てられたゴチック様式の建物で、毎週日曜日には鐘が鳴らされミサが行われるそうです。結婚式場としても利用されおり、ちょうど出会った方は、「娘もここで結婚式を挙げた」と懐かしそうに話されていました。様々な方々の思い出を受け継ぎながら「今」に続いていることを実感しました。銘板や標識と正面から向き合うと、意外な一面が垣間見られ、その驚きが、また別の世界へと誘ってくれることでしょう。(銘板、ひがし見聞録、東区の歴史参照)

 

☆当会では、皆さまのご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。詳細はガイドについてからお進みください。 ​

 @CIMG3989銘板 CIMG4795
銘板 100年の時を経て
@CIMG4791明治と今 @CIMG4802御下屋敷標識
明治と今の様子 そっと語りかけ・・
@CIMG4801教会 @CIMG4799布池教会
聳え立つ尖塔 標識

注1:延宝7年(1679)尾張二代藩主光友が造った別邸 注2:尖塔は二本あり、高さは50㍍、コンクリートの塔の高さは30㍍ 注3:正式名称は「聖ペテロ・聖パウロ司教座教会」

筒井、出来町天王祭

去る6月4,5日に東区、筒井町・出来町天王祭が執り行われました。残念なことに、4日の夜間曳行と5日午前の徳川園の山車揃えは雨のため中止となりました。特に山車揃えには、遠方から来園された方も多く「もう直ぐ雨はやむよ」「楽しみに来たのに」と空を見上げ嘆いておられました。気象庁も梅雨入り宣言を発表、如何にしても自然には逆らえませんね。

5日、午後からは山車もそれぞれの町内を曳行され、お稽古に励んだと思われる整然としたお囃子の音が、近隣に響き渡り、一段と盛り上げていました。
この祭りでは出来町の3台の山車、特に鹿子神車(西の切)に密着してみました。もとより、このお祭りは、疫病を鎮めようとする天王信仰で、それぞれの町内を巡回し、無病息災を祈ったものです。場所を選んで人形からくり、人形囃子、場所によっては力持ちなどを披露して巡っていきます。力持ちとは、一人で山車を持ち上げるものですが、その雄姿は豪快さと共に技を継承する必死さも伝わってきました。

動く文化財とも言われるようで、楫方、腰回りの見せ場「曲げ場」、「力持ち」など男の見せ場では大きな「頑張れ!頑張れ!」「出来る、出来る!」の声援が飛び交い、成功する毎に「うぉー」の歓声と拍手がわき上がりました。そこに町内の一体感が見られ、その瞬間はちょっと感動的でした。夜になると、灯入れをした提灯が映え、その曳行は幻想的な光景でもあり、初夏の風物詩として欠かせないものになっています。
出会い、答礼、千秋楽のご挨拶など古式豊かな伝統文化が今も脈々と続いていることを実感しました。ある古老の、「昔、本通りは1本南でね、我が家は現在の出来町通りの真ん中にあったんだよ」と懐かしそうにお話ししてくださった姿が、伝統の大切さを説いておられるように感じました。
江戸時代から続く貴重な文化遺産です、大切に次世代へ引き継いでいって欲しいと思いました。
山車関係者の皆様、濃やかなご配慮、ご協力ありがとうございました。

@CIMG4563西曳行 @2016-06-05 16.07.21方向転換 @CIMG4467力持ち、棒頭 #CIMG4448お囃子
 曳行  方向転換の妙技  楫方見せ場(力持ち)  お囃子
 @CIMG4647東と中2台がすれ違い @CIMG4665出会い &CIMG4572からくり  @2016-06-05 17.07.25中、答礼
 2台の山車すれ違い  出会い  からくり(奉納)  答礼(中の切)
 @CIMG4480西 @CIMG4722西灯入れ @CIMG4728東灯入れ @CIMG4750曳行
 水引幕(天保12年作)  灯入れ(西の切)  灯入れ(古出来)  夜間曳行

街道を歩く1 〔飯田街道の起点〕

前回の「武平通り」の途中で、東桜郵便局(東桜一丁目)の十字路北東側に「飯田街道〈0〉→(注1)」の指標を見つけました。小さな交通標識くらいの大きさで、青色の文字は余り目立たず、注意深く見ないと通り過ぎてしまいそうです。ワクワク・ドキドキ、好奇心旺盛な気持ちで矢印に従って歩いてみました。
この辺り古民家が残っており、冨士中学校校庭南にある陸橋には「駿河町歩道橋」と書かれて昔の名残を留めています。街道は名古屋高速都心環状線を潜り南東へ進むと、「はじまり童子の像」が道行く人々を優しく見守っていました。この像は飯田街道起点を示す像で、厄除けや愛情の象徴として矢を持ち恵方を向いて立っていると書かれていました。その先五叉路の脇にまた、また街道散策路標識、「〈0〉飯田街道→」の指標を発見、このあたりは清須越しで有名な東寺町周辺で、幾度となく通っていたのですが、今まで指標には全く気づきませんでした。新しい道路に分断されたため、真っ直ぐ進むことは出来ませんが、街道は先へと続いています。

街道沿いにある西蓮寺の門扉には武田菱が付いており、本堂には「風林火山」の旗(通常は見られません)が掲げられているそうです。清須越しの寺で、極楽浄土へ導かれるという「二河白道(にがびゃくどう)浄土庭園(注2)」が有名です。明治初期には境内西側に学校が設けられ、東区誕生の際にはその空き校舎が区役所の仮庁舎になるなど、時代の変遷をずっと見守ってきています。
皐月の空や萌えだした若葉の並木と語り合いながら、埋もれそうになっている歴史探しはいかがでしょうか。(ひがし見聞録、名古屋の街道をゆく、東区の歴史参照)

☆当会では、皆様のご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。詳細はガイドについてからお進みください。

CIMG4143起点 CIMG3974右が起点へ向かう道
起点指標(右後方にテレビ塔) 歩道橋から(右、起点指標へ)
 CIMG3970冨士中 CIMG4151標識と五叉路
冨士中学校 五叉路の指標
CIMG4150 CIMG3912始まりの像
門扉に武田菱が・・ はじまり童子の像

注1:旧駿河町から寺町筋を通り市内では各所で分断されるが、平針、岡崎、稲武を経て飯田に至る道。家康が命じて開いた街道で駿河道・駿河街道とも呼ばれた(明治以降、飯田街道と呼ぶようになった)。また塩の道とも呼ばれ、信州に塩を運ぶ貴重な道であった

注2:浄土教の源である唐の善導大師の教えを説くもの(通常は非公開)

銘板を訪ねて 「オアシス21」と武平通

薫風に誘われ、ふとしたことで見つけた栄「オアシス21(注1)」にある銘板を訪ねました。通称<緑の大地>に設置されているのですが、目を留める方も殆ど無く、ちょっと残念に思いました。この地は、明治・大正期には官庁街であったこと、戦後の都市計画で栄公園となり、その後、幾多の変遷を経ながら平成14年にオープンしたとのこと。訪れたこの日は大型連休中ということもあって、地下の<銀河の広場>ではイベントが開催され、子どもさん達の歓声が響き渡り、活気に満ち溢れていました。
地球に優しい都市公園として建設され、市民の憩いの場として永く親しまれています。特に<水の宇宙船>は空中に浮かび人々の目を一層惹きつけます。因みに、この宇宙船の軸は名古屋城の方角を向いているようです。この日も大勢の人々が新緑に囲まれた環境で、文字通り、「都会という砂漠に存在する癒やしの泉」即ちオアシスとして、存在感を示していました。
NHK、愛知芸術文化センターと「オアシス」の間の道路が「武平通」であることを知り、周辺を散策してみました。名前の由来は江戸時代まで遡ります。普請奉行であった松井武兵衛(注2)の屋敷付近を武兵衛町(注3)と呼んだのが起こりだそうです。もう一人、武平町に居住した御弓頭、星野勘左衛門宅跡(注4)と書かれた石碑が残されていました。そして、脇道に逸れると、まだまだ貴重な遺産が沢山隠されているようです。今後、少しずつご紹介していきたいと思います。時には街の片隅で、静かに昔を語る指標・銘板を巡る道草はいかがでしょうか。
(名古屋時代MAP(江戸尾張編)、当会資料、オアシス21HP参照)
☆当会では皆さまのご要望に合わせて、依頼ガイドを行っております。詳細につきましては、ガイドについてからお進みください。

CIMG9910銘板縮 CIMG3929オアシス
懐かしい写真で紹介 オアシス21
CIMG3934銘板部分拡大 CIMG3941
今・むかし 宇宙船とテレビ塔
CIMG3945広場でイベント  CIMG3950新緑並木縮
イベント会場 新緑の並木道
CIMG9589武平通り縮 CIMG9594星野勘左衛門縮
唯一の標識 星野勘左衛門宅跡

注1:「水の宇宙船」・「緑の大地」・「バスターミナル」・「銀河の広場、ショップ」で構成
注2:初代義直の家臣、名古屋還付の時に碁盤割りの区画を作り上げた功労者。
今はここ1箇所の標識に名前が残る
注3:「兵衛」を略して「平」となった
注4:武平通りと錦通り交差点角、名古屋栄ビルディング敷地内の植え込みの中

お知らせ また、貴重な遺産がなくなります

以前、鳥屋筋散策でご紹介しました「蓮池弁財天」が無くなる・・との会員の情報に、早速訪ねてみました。ここは東区と北区の境界線上で、地名上では北区ですが、お隣さんのよしみで取り上げました。江戸時代、この辺りに蓮の咲く大きな池があり、この中に弁財天の祠が祭られていたそうです。その後、埋め立てられて蓮池新田(注1)と呼ばれるようになったが、その後も祠は大事に祭られており、今も大杉南公園の隣に存在しています。
この祠と並んで、加藤清正公の大きな手形石が据えられています。名古屋に於いて、清正公の人気は1,2を争う大変な武将です。この手形の由来は、名古屋築城の折に、岩崎山から石を運ぶのに稲置街道(注2)を通った清正を、村人が労い、手形を押して欲しいと懇願して戴き、その後それを模して彫ったものだそうです。地名も時の流れに逆らえず、由緒ある地名はどんどん少なくなってきています。
古老にその昔のお話を伺う度に“なるほど”と、往時を偲ばせる地名が現れ、そのつど納得して参りました。名前を伺う度に、せめて、何らかの形で後世に残せないものかと、苦悩していました。
最近「文化のみち」においても、江戸時代から続くお宅(注3)や、明治時代の貴重な建築物が取り壊され、とても残念に思います。蓮池弁財天、清正石は4月15日には引き払われるそうです(注4)。大事な遺産です、せめて直にご覧になり、脳裏に刻んでおいてはいかがでしょうか。(地図、文、蓬左84号、沢井鈴一著・名古屋の街道を行く 参照)

蓮池弁財天地図 CIMG3775
蓮池新田・・・ 蓮池弁財天
CIMG3769 CIMG3770
弁財天祠と手形石 加藤清正の手形

注1:元禄のころまで大きな池があった。その後蓮池新田が開発された。
蓮池の名は、現在の蓮池弁財天に残っている
注2:江戸時代、名古屋城下と犬山城下を結んでいた。犬山街道とも呼ばれた
注3: 居住されていた方のご要望でお名前は控えさせていただきます(現在は更地)
注4:ご近所の方にお尋ねしましたが、今後については分からないとのことでした

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開館日とガイド実施時間

◆旧豊田佐助邸
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~15:30
ガイド常駐日:火、木、土
◆文化のみち二葉館
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~17:00
定時ガイド: 火、木、土
10:45、13:20の2回
30~40分
◆徳川園
月曜日休園
開園時間: 9:30~17:30
定時ガイド: 金曜日
13:00~15:30

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