「東区文化のみちガイドボランティアの会」が名古屋市東区「文化のみち」の魅力を紹介します
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東区にある日独友好の碑

 立秋もいつの間にか過ぎ、蝉時雨が虫の音に、先日までの入道雲に替わって、刷毛で掃いたような秋の雲が見え始めました。そんな雲を追いながら歩いていると、愛知県立旭丘高等学校(東区出来町3)正門北の塀ぎわ(道路沿い)に「日独友好の碑」と書かれた銘板を見つけました。
 その碑の「由緒」に、この地には1915年にドイツ人名古屋収容所が置かれ、第1次世界大戦の折りに総勢519名の人々が5年間生活したと記されています。俘虜収容所として日本で最初に設計施工されたもので、収容所での生活はかなり自由で音楽やスポーツなどによる地域住民との交流も頻繁に行われ友好関係を深めたようです。

  またドイツ人の勤勉な生活態度に感銘を受け、優れた職業技能に触れ産業復興に役立てたとも記されています。小麦粉を日本人の食事の一つにと考えた盛田善平は、俘虜の中に製パンの優秀な技術者のいることを聞き、パン製造の事業を考えました。その技術者を招きパンの製造に成功し大正9年に敷島製パン(株)を設立しました。
 この技術者は、解放されてからも日本に留まりシキシマパンの増産と技術の改善につとめたとのことです。この収容所は、1920年(大9)に閉鎖され、今はその存在を知る人は少ないようですが、現在の県立旭丘高校がある一帯が収容所跡地だそうです。そして碑には、歴史の事実を後世に伝えるため建立したと記されています。

  ちょうど夏休み中で、校内から聞こえてくる楽器の音や、スポーツに興じる活気ある声が、往時の友好関係を彷彿とさせてくれるようでした。東区にはこのような歴史的遺産がまだまだ残されていることでしょう。道草の際でも、片隅に置かれている銘板や標識をじっくりご覧になると、思いがけない発見があるかも知れません。
(ひがし見聞録、名古屋広小路物語、東区文化のみちあれこれ他当会資料)

CIMG5146旭丘脇の碑 CIMG5325旭丘高校
    友好の証し  愛知県立旭丘高等学校
CIMG5314コミュニテイ道路 CIMG5148
近くにはコミュニティ道路   日比野 寛像(注1)

注1:旭丘高校内にある愛知一中第11代校長日比野 寛(ひびのゆたか)像。生徒にマラソンを通して心と体を健全にして優れた人物を育てるという日比野流教育方針を行い、「マラソン校長」の異名が付けられた。今も生徒を優しく見守っている

二葉館の歴史 「銘板を訪ねて」

 新しい銘板を発見しました。以前、遺跡調査(注1)が行われていた場所「旧川上貞奴邸(二葉御殿)」に豪奢なマンションが建ちました。その南西の角に銘板が建てられていることに、ある日会員が気づきました。さりげなく建つ銘板は、余程注意していないと見過ごしてしまいそうです。今も周囲にはまだ昔の面影を残す建造物もありますが、この地を訪れる度に周辺の様子が変わっており、少し残念な気もします。あまりの変貌に近づくことが躊躇(ためら)われていた一方、何処かで昔を愛おしむ気持ちが強かったのかも知れません。

 歴史を忠実に紐解くには、先ずは現況を確認することと思い出かけてみました。ありました、ありました、ひっそりと申し訳なさそうに据えられていました。想像していた貞奴さんのイメージとは、大きくかけ離れていますが、ここにその昔「二葉御殿」と呼ばれた2000坪以上の建物があったことが記録に残されており、少し安心しました。そして、現在「文化のみち二葉館(注2)」として、町並み保存地区の一画に、当時の面影を残した建物が残されています。洒落た建物は道行く人々を振り返らせ、一歩中に入れば当時の生活が目の前に浮かんでくるようです。この辺りは縄文時代から脈々と歴史を紡いでいること、そして場所は若干移動しているものの、当時を偲ばせる生活空間がそこにはあります。その時代に思いを馳せ、どうぞ「今とむかし」をじっくり味わってみて下さい。(写真①、②、③、④:名古屋市発行「旧川上貞奴邸復元工事報告書」から転載)
☆当会では、「火・木・土」の午前10時45分からと午後1時20分からの2回、ガイドを行っております。お気軽にお声かけ下さい。

@創建当時写真 T 二葉報告書 2旧二葉館
①創建直後の外観 ②旧二葉荘(円形部分が応接室)
二葉報告書 1創建当時の煉瓦塀 二葉報告書 3庭T
③創建当時の煉瓦塀 ④旧二葉荘(庭)
@CIMG4132 #120511b_2ガイド二葉
「旧川上貞奴邸跡」銘板 ガイドの様子

注1:こちらからご覧ください
注2:文化にみち二葉館の詳細はこちらからご覧下さい

町なみ保存地区3{主税町}

 以前、主税町筋にある朝日文左衛門の銘板(注1)をご紹介しましたが、今回は、国道41号線から東(杉村老松線→桜並木)へ向かって歩いてみました。
 私たちがガイドをする際、しばしば「主税町(ちからまち)」の読みを尋ねられますが、「税務署があるから?」と“税”繋がりの連想をされる方が多いように思います。真相は、由緒ある方のお名前からなのです。この辺り、江戸時代中級武士の御屋敷があった場所で、義直に仕えて勘定奉行となった「野呂瀬主税(のろせちから)」が当地に屋敷を構えたことから、その名が町名の起源になっているそうです。その場所には、現在カトリック主税町教会があります。この教会は明治20年に建てられた名古屋で最初のカトリック教会で、明治33年建設の礼拝堂は野呂瀬家の長屋が利用され、その当時は畳敷きであったということです。この地方の中心的教会の役割を果たしていましたが、現在は「主税町記念聖堂」が正式名称となりました。

 梅雨空を見上げて、皆様お気づきでしょうか?主税町筋には電線が1本もありません。ちょっと鬱陶しい電線が見えないのです!“何かゆったり感じていました”と述べておられたのが実感ではないでしょうか。現在、電線の代わりに優しい街灯が林立しており、幻想的なガス灯が思い浮かぶようです。
 電線の埋設は、町並み保存地区に指定され進められているのですが、タイムスリップしたように感じ、非常に新鮮に思ったのは私だけではないでしょう。この地には、佐助邸を始めとする貴重な歴史的建造物が残されています。最近は近代的な建物が建造され、足元には歩行者に優しいコミュニティ道路(注2)も造られ、モザイク模様に寄り添って可愛らしい草花(今はジャノヒゲ)も植えられています。そんな“昔といま”が混在する不思議な空間を作り出しているのが主税町です。少し目線をかえて散策すると、思いがけない出会いが待っているかも知れませんよ。
☆当会では皆様のご要望に合わせた依頼ガイドも行っております。「ガイド」からお進み下さい。

@CIMG5090街灯アップ @CIMG5122春田邸から東
佐助邸から西へ  街灯も一役 
@CIMG5111教会から東 CIMG5123教会から西を 
静寂の町並み?!  コミュニティ道路 
@CIMG8644教会縮 @CIMG5118花
教会ガイドの様子  古民家の路地で 楚々と

注1:こちらからご覧いただけます。
注2:歩行者に優しい道路(住宅地の道路整備の手法の一つで、車道をジグザクにしたことでできた歩道空間に植樹や花壇を造るなど空間を有効利用)

銘板を訪ねて (御下屋敷、カトリック布池教会)

前回の東寺町散策研修会の帰途・・地下鉄新栄駅前(ヤマザキマザック側)に銘板を見つけました。この周辺は江戸時代、尾張徳川藩の別邸で、6万4千坪もある広大な御下屋敷(注1)があった場所です。そして今、東生涯学習センター南の道路際に標識が残されています。

吉宗との対立で、この屋敷に蟄居となった宗春は、在任中からこの屋敷を好んで使用していたようです。明治以後、大正期までは畑や小山として残されていたようですが、今は道路も整備され近代的なビルが建ち並ぶようになり、様変わりになっています。銘板の直ぐ横には大きなクスノキがそびえ、100年以上にわたって、この町の変遷を見続けるかたわら、道行く人々に爽やかな木陰を提供してきています。

 

少し足を延ばして芸創センター、東生涯学習センターの道路脇の「御下屋敷跡」の標識を見ながら東へ向かうと立派な尖塔(注2)が見えてきます。ここは、市の都市景観重要建造物等に指定されている「カトリック布池教会(注3)」です。戦後の建造物で指定されているのは、名古屋大学豊田講堂とこの教会のみです。現在の聖堂は、昭和37年に建てられたゴチック様式の建物で、毎週日曜日には鐘が鳴らされミサが行われるそうです。結婚式場としても利用されおり、ちょうど出会った方は、「娘もここで結婚式を挙げた」と懐かしそうに話されていました。様々な方々の思い出を受け継ぎながら「今」に続いていることを実感しました。銘板や標識と正面から向き合うと、意外な一面が垣間見られ、その驚きが、また別の世界へと誘ってくれることでしょう。(銘板、ひがし見聞録、東区の歴史参照)

 

☆当会では、皆さまのご要望に合わせた依頼ガイドを行っております。詳細はガイドについてからお進みください。 ​

 @CIMG3989銘板 CIMG4795
銘板 100年の時を経て
@CIMG4791明治と今 @CIMG4802御下屋敷標識
明治と今の様子 そっと語りかけ・・
@CIMG4801教会 @CIMG4799布池教会
聳え立つ尖塔 標識

注1:延宝7年(1679)尾張二代藩主光友が造った別邸 注2:尖塔は二本あり、高さは50㍍、コンクリートの塔の高さは30㍍ 注3:正式名称は「聖ペテロ・聖パウロ司教座教会」

筒井、出来町天王祭

去る6月4,5日に東区、筒井町・出来町天王祭が執り行われました。残念なことに、4日の夜間曳行と5日午前の徳川園の山車揃えは雨のため中止となりました。特に山車揃えには、遠方から来園された方も多く「もう直ぐ雨はやむよ」「楽しみに来たのに」と空を見上げ嘆いておられました。気象庁も梅雨入り宣言を発表、如何にしても自然には逆らえませんね。

5日、午後からは山車もそれぞれの町内を曳行され、お稽古に励んだと思われる整然としたお囃子の音が、近隣に響き渡り、一段と盛り上げていました。
この祭りでは出来町の3台の山車、特に鹿子神車(西の切)に密着してみました。もとより、このお祭りは、疫病を鎮めようとする天王信仰で、それぞれの町内を巡回し、無病息災を祈ったものです。場所を選んで人形からくり、人形囃子、場所によっては力持ちなどを披露して巡っていきます。力持ちとは、一人で山車を持ち上げるものですが、その雄姿は豪快さと共に技を継承する必死さも伝わってきました。

動く文化財とも言われるようで、楫方、腰回りの見せ場「曲げ場」、「力持ち」など男の見せ場では大きな「頑張れ!頑張れ!」「出来る、出来る!」の声援が飛び交い、成功する毎に「うぉー」の歓声と拍手がわき上がりました。そこに町内の一体感が見られ、その瞬間はちょっと感動的でした。夜になると、灯入れをした提灯が映え、その曳行は幻想的な光景でもあり、初夏の風物詩として欠かせないものになっています。
出会い、答礼、千秋楽のご挨拶など古式豊かな伝統文化が今も脈々と続いていることを実感しました。ある古老の、「昔、本通りは1本南でね、我が家は現在の出来町通りの真ん中にあったんだよ」と懐かしそうにお話ししてくださった姿が、伝統の大切さを説いておられるように感じました。
江戸時代から続く貴重な文化遺産です、大切に次世代へ引き継いでいって欲しいと思いました。
山車関係者の皆様、濃やかなご配慮、ご協力ありがとうございました。

@CIMG4563西曳行 @2016-06-05 16.07.21方向転換 @CIMG4467力持ち、棒頭 #CIMG4448お囃子
 曳行  方向転換の妙技  楫方見せ場(力持ち)  お囃子
 @CIMG4647東と中2台がすれ違い @CIMG4665出会い &CIMG4572からくり  @2016-06-05 17.07.25中、答礼
 2台の山車すれ違い  出会い  からくり(奉納)  答礼(中の切)
 @CIMG4480西 @CIMG4722西灯入れ @CIMG4728東灯入れ @CIMG4750曳行
 水引幕(天保12年作)  灯入れ(西の切)  灯入れ(古出来)  夜間曳行

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開館日とガイド実施時間

◆旧豊田佐助邸
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~15:30
ガイド常駐日:火、木、土
◆文化のみち二葉館
月曜日休館(祭日が月曜日なら翌日)
開館時間: 10:00~17:00
定時ガイド: 火、木、土
10:45、13:20の2回
30~40分
◆徳川園
月曜日休園
開園時間: 9:30~17:30
定時ガイド: 金曜日
13:00~15:30

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