清須越しでも有名な東寺町(注1)に、寄席文字で書かれた珍しい寺標があります。その寺は「鷲嶺山 含笑寺(曹洞宗)」(東区東桜二丁目)で、織田信秀公が生母(信長の祖母)の菩提を弔うために清須土田村に建立し、戒名「含笑院殿茂獄涼繁大禅定尼」より寺号となったそうです。含笑花は別名バナナツリーともいわれ、花の色も香もバナナに似ており、毎年5月〜6月になるとほのかに甘い香りが漂います。故事にある「拈華(拈芦)微笑(ねんげみしょう)」(注2)という言葉から、また陳舜臣の著書「含笑花の木」に、甘く柔らかい感じの香に自分の母親を彷彿とさせるという一文があり、そのようなことが相俟ってこの名前に繋がっているのではないか・・とご住職様に伺いました。信秀公の、母を愛おしく想う気持ちがよく表れていると思います。
寺標は、寺名にふさわしい文化行事として昭和42年から続く「含笑長屋落語を聞く会」の20周年(昭和62年)を記念として建てられたものだそうです。本堂横に含笑花(がんしょうか・カラタネオガタマ)が植樹されていますが、これは檀家様からいただいた木だそうです。
風薫る季節、時代の流れなどにも思いを巡らせ、時には心静かに向かい合ってみてはいかがでしょうか。(ご住職様のお話、ひがし区史、清須越し、当会資料参照)
寺標 | 清須越しの山門が現在も残る |
本堂 | 含笑院殿の墓 |
甘い香りが周囲に漂って | 半開き状態で開花(含み笑いに見える?) |
注1:現在の町名では、東区東桜と中区新栄を中心とする飯田街道に沿った地域。尾張名古屋における東の防衛拠点の役割を担った。法華寺町筋(日蓮宗集積)、禅寺町筋(曹洞宗集積)その周辺に浄土宗や他宗を配置。(清須越しで48の寺院が移ったが、現在は37寺)
注2:以心伝心、不立文字の意。「拈華」は花をひねること。「花を捻りて微笑する」と訓読みする。ここから寺名に「含笑」の字を使ったのではないでしょうかとご住職様のお話です。
コメント
コメント一覧 (1件)
お盆に寄って住職から、寄席文字の寺標は東側に移した。これからは、入口は東側にしたい。清洲越しの西にある山門は、耐震に問題があり費用の面から取り壊さざるを得ない。清須市に移築について相談したが、断られた。