東区の古代遺跡を歩く「明和高校の歴史」

 東区の殆どの遺跡は、北の低地を臨む台地端部に立地しているようで、以前お知らせした東二葉遺跡では、縄文時代の竪穴式住居跡、江戸時代の武家屋敷跡(竹腰)や大正時代の旧川上貞奴邸跡などの遺跡・遺物が見つかっています。https://higashibgv.com/町の話題/4297  こちらからもご覧いただけます。

 今回は隣の西二葉町遺跡の発掘調査説明会に参加してきました。さてどんな変遷を辿っているのでしょうか。ワクワクしながら発掘現場へ出かけました。

 ここは東区白壁に位置し、明和高校敷地から北東の七尾天神方面に広がっている地域です。
 特に注目されるのは江戸時代成瀬隼人正中屋敷の建物跡・井戸、そのほか盛土・整地層廃棄土坑などの様相が確認され実際に見ることができました。貝のブロックなども見つかり、江戸時代にタイムスリップし生活の様子を垣間見る思いで興味は高まり参加された方々も一心に耳を傾けていました。

 また近代以降の学校校舎跡は、愛知県における中等・高等教育史を考える上で貴重な資料なども見つかり、丁寧に展示されていました。じっくり観察することもでき、「なるほど!納得」の繰り返しでした。

 今回は明和高校の校舎建て替えに伴う調査です。出土された遺跡や遺物などの埋蔵文化財は当時の人たちの活動の痕跡が、そのまま残されている唯一無二のかけがえのない貴重な資料です。保護し残すことで広く活用できる生きた教材にもなります。実際に明和高校では授業に活用されていると聞きました。

 明治以降の学校の変遷について遺跡調査から時系列に辿ってみると、「えっ!そうだったんだ」と新しい出会いに胸躍らせました。地元の方々は“む・か・し”を懐かしく思い出されているようでした。

:明治8年(1875)➡︎裁判所・農事試験場(現、県農業試験場)に使用され
:明治43年(1910)末には学校用地➡︎明治43年愛知一中校舎完成➡︎その後名古屋帝国大学本部・理工学部(一中の校舎利用)➡︎昭和20名古屋大空襲で消失。
:戦後➡︎愛知県第一高等女学校➡︎第一高等女学校と改名後➡︎明倫中学と併合➡︎明和高等学校誕生

 変遷を辿ると、中・高等教育史にとって大変重要な場所であることがわかります。様々な人々の息遣いが歴史と重なり心に響いた見学でした。東区の歴史は、奥深く今後の新たな出会いを楽しみに待ちたいと思います。 
参考文献:西二葉町発掘通信(No.1〜No.4)、名古屋の古代遺跡を歩く ほか

丁寧な調査報告(愛知一中、帝国大跡)
熱意が伝わります
出土品の展示(その1)
土馬(どば)・祭具の一つ
歴史は物語る
歴史を遡ると・・
成瀬家の遺構
軒丸瓦(成瀬家・丸に片喰)

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