「東区文化のみちガイドボランティアの会」が名古屋市東区「文化のみち」の魅力を紹介します

豊田佐助邸

豊田佐助邸のイメージ

自動織機の豊田佐吉の三弟豊田佐助の住居です。
火曜日、木曜日、土曜日の10:00から15:30まで常駐ガイドをしています。

文化のみち二葉館

文化のみち二葉館のイメージ

ここには、日本の女優第一号の川上貞奴と電力王福沢桃介が暮らしていました。
火曜日、木曜日、土曜日の10:45と13:20の2回。定時ガイドをしています。

徳川園

徳川園のイメージ

2005年万博の前年11月に開園された「池泉回遊式」の大名庭園です。
金曜日の13:00から15:30まで常駐ガイドをしています。

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東区にある日独友好の碑

 立秋もいつの間にか過ぎ、蝉時雨が虫の音に、先日までの入道雲に替わって、刷毛で掃いたような秋の雲が見え始めました。そんな雲を追いながら歩いていると、愛知県立旭丘高等学校(東区出来町3)正門北の塀ぎわ(道路沿い)に「日独友好の碑」と書かれた銘板を見つけました。
 その碑の「由緒」に、この地には1915年にドイツ人名古屋収容所が置かれ、第1次世界大戦の折りに総勢519名の人々が5年間生活したと記されています。俘虜収容所として日本で最初に設計施工されたもので、収容所での生活はかなり自由で音楽やスポーツなどによる地域住民との交流も頻繁に行われ友好関係を深めたようです。

  またドイツ人の勤勉な生活態度に感銘を受け、優れた職業技能に触れ産業復興に役立てたとも記されています。小麦粉を日本人の食事の一つにと考えた盛田善平は、俘虜の中に製パンの優秀な技術者のいることを聞き、パン製造の事業を考えました。その技術者を招きパンの製造に成功し大正9年に敷島製パン(株)を設立しました。
 この技術者は、解放されてからも日本に留まりシキシマパンの増産と技術の改善につとめたとのことです。この収容所は、1920年(大9)に閉鎖され、今はその存在を知る人は少ないようですが、現在の県立旭丘高校がある一帯が収容所跡地だそうです。そして碑には、歴史の事実を後世に伝えるため建立したと記されています。

  ちょうど夏休み中で、校内から聞こえてくる楽器の音や、スポーツに興じる活気ある声が、往時の友好関係を彷彿とさせてくれるようでした。東区にはこのような歴史的遺産がまだまだ残されていることでしょう。道草の際でも、片隅に置かれている銘板や標識をじっくりご覧になると、思いがけない発見があるかも知れません。
(ひがし見聞録、名古屋広小路物語、東区文化のみちあれこれ他当会資料)

CIMG5146旭丘脇の碑 CIMG5325旭丘高校
    友好の証し  愛知県立旭丘高等学校
CIMG5314コミュニテイ道路 CIMG5148
近くにはコミュニティ道路   日比野 寛像(注1)

注1:旭丘高校内にある愛知一中第11代校長日比野 寛(ひびのゆたか)像。生徒にマラソンを通して心と体を健全にして優れた人物を育てるという日比野流教育方針を行い、「マラソン校長」の異名が付けられた。今も生徒を優しく見守っている

折々の花 (灼熱の太陽の下に)

 4年毎に開催される、五輪大会が始まりました。何とか完成にこぎ着けた会場で、熱い戦いが歓声に包まれることでしょう。真夏の名古屋、灼熱の太陽の下、猛暑にもめげず時を得た草木は我が世を謳歌しています。緑を濃くした木々は、道行く人々に緑陰を提供していますし、道路脇では酷暑を象徴するように真っ赤なモミジアオイ(豊前バス停前など)、民家の庭先では、色とりどりの花々が今を盛りと競って咲いています。

 通りを歩いていましたら、出来町通りの徳源寺沿いに、可愛いツユクサの間にちょっと変わった石標が立っていました。これはお地蔵様??よく見てみると正面に徳源寺(徳源寺を向いている)、矢印は「←」建中寺、徳川美術館「→」となっています。今まで幾度となく通っているのに全く気付きませんでした。そして下には、徳川ゆかりのルートと書かれています。矢印を頼りに歩いてみると・・足下にモザイク模様の可愛い表示があり、それをゆっくり辿ると目的地に到達!なるほどと感心しました。
 美術館に向かう広場(蓬左文庫前)では、満開のサルスベリが咲き誇り、写真を撮る人、木陰で観賞を楽しむ人が集い、来館者を歓迎しています。何気ない視線が、思いがけない発見を生むかもしれませんよ。

 当会では、毎週金曜日13:00〜15:30(受付は15:00)、定時ガイドを行っております。
またご要望に併せた日時に依頼ガイドも行っております。この検索はガイドからお進み下さい。

@CIMG5252石柱 @CIMG5270路面標示
     道案内を・・  足元にはモザイク模様で
@CIMG5278サルスベリ @IMG_0123
    天に向かって     人待ち顔に
@CIMG5248ケイトウ @CIMG5237カンナ
 炎のような赤(ケイトウ)     カンナ(注1)

注1:コロンブスがアメリカ大陸を発見した際に見つけた花として有名

二葉館の歴史 「銘板を訪ねて」

 新しい銘板を発見しました。以前、遺跡調査(注1)が行われていた場所「旧川上貞奴邸(二葉御殿)」に豪奢なマンションが建ちました。その南西の角に銘板が建てられていることに、ある日会員が気づきました。さりげなく建つ銘板は、余程注意していないと見過ごしてしまいそうです。今も周囲にはまだ昔の面影を残す建造物もありますが、この地を訪れる度に周辺の様子が変わっており、少し残念な気もします。あまりの変貌に近づくことが躊躇(ためら)われていた一方、何処かで昔を愛おしむ気持ちが強かったのかも知れません。

 歴史を忠実に紐解くには、先ずは現況を確認することと思い出かけてみました。ありました、ありました、ひっそりと申し訳なさそうに据えられていました。想像していた貞奴さんのイメージとは、大きくかけ離れていますが、ここにその昔「二葉御殿」と呼ばれた2000坪以上の建物があったことが記録に残されており、少し安心しました。そして、現在「文化のみち二葉館(注2)」として、町並み保存地区の一画に、当時の面影を残した建物が残されています。洒落た建物は道行く人々を振り返らせ、一歩中に入れば当時の生活が目の前に浮かんでくるようです。この辺りは縄文時代から脈々と歴史を紡いでいること、そして場所は若干移動しているものの、当時を偲ばせる生活空間がそこにはあります。その時代に思いを馳せ、どうぞ「今とむかし」をじっくり味わってみて下さい。(写真①、②、③、④:名古屋市発行「旧川上貞奴邸復元工事報告書」から転載)
☆当会では、「火・木・土」の午前10時45分からと午後1時20分からの2回、ガイドを行っております。お気軽にお声かけ下さい。

@創建当時写真 T 二葉報告書 2旧二葉館
①創建直後の外観 ②旧二葉荘(円形部分が応接室)
二葉報告書 1創建当時の煉瓦塀 二葉報告書 3庭T
③創建当時の煉瓦塀 ④旧二葉荘(庭)
@CIMG4132 #120511b_2ガイド二葉
「旧川上貞奴邸跡」銘板 ガイドの様子

注1:こちらからご覧ください
注2:文化にみち二葉館の詳細はこちらからご覧下さい

町なみ保存地区3{主税町}

 以前、主税町筋にある朝日文左衛門の銘板(注1)をご紹介しましたが、今回は、国道41号線から東(杉村老松線→桜並木)へ向かって歩いてみました。
 私たちがガイドをする際、しばしば「主税町(ちからまち)」の読みを尋ねられますが、「税務署があるから?」と“税”繋がりの連想をされる方が多いように思います。真相は、由緒ある方のお名前からなのです。この辺り、江戸時代中級武士の御屋敷があった場所で、義直に仕えて勘定奉行となった「野呂瀬主税(のろせちから)」が当地に屋敷を構えたことから、その名が町名の起源になっているそうです。その場所には、現在カトリック主税町教会があります。この教会は明治20年に建てられた名古屋で最初のカトリック教会で、明治33年建設の礼拝堂は野呂瀬家の長屋が利用され、その当時は畳敷きであったということです。この地方の中心的教会の役割を果たしていましたが、現在は「主税町記念聖堂」が正式名称となりました。

 梅雨空を見上げて、皆様お気づきでしょうか?主税町筋には電線が1本もありません。ちょっと鬱陶しい電線が見えないのです!“何かゆったり感じていました”と述べておられたのが実感ではないでしょうか。現在、電線の代わりに優しい街灯が林立しており、幻想的なガス灯が思い浮かぶようです。
 電線の埋設は、町並み保存地区に指定され進められているのですが、タイムスリップしたように感じ、非常に新鮮に思ったのは私だけではないでしょう。この地には、佐助邸を始めとする貴重な歴史的建造物が残されています。最近は近代的な建物が建造され、足元には歩行者に優しいコミュニティ道路(注2)も造られ、モザイク模様に寄り添って可愛らしい草花(今はジャノヒゲ)も植えられています。そんな“昔といま”が混在する不思議な空間を作り出しているのが主税町です。少し目線をかえて散策すると、思いがけない出会いが待っているかも知れませんよ。
☆当会では皆様のご要望に合わせた依頼ガイドも行っております。「ガイド」からお進み下さい。

@CIMG5090街灯アップ @CIMG5122春田邸から東
佐助邸から西へ  街灯も一役 
@CIMG5111教会から東 CIMG5123教会から西を 
静寂の町並み?!  コミュニティ道路 
@CIMG8644教会縮 @CIMG5118花
教会ガイドの様子  古民家の路地で 楚々と

注1:こちらからご覧いただけます。
注2:歩行者に優しい道路(住宅地の道路整備の手法の一つで、車道をジグザクにしたことでできた歩道空間に植樹や花壇を造るなど空間を有効利用)

佐助邸あれこれ

  今年の干支は「申」ということで、新春の拙文に干支に事寄せて、大広間の地袋に描かれた絵についてご紹介しました(注1)。これは、あくまでも私見で、願望と推測の範囲のものでしたが、これについて、驚くべき意外な発見がありました。

 なんと、この地袋の絵は隅田八幡神社に伝わる国宝の「隅田八幡神社人物画像鏡(注2)」裏面の人物を抜粋、これを彩色したものだと記されていていたのです。初めて聞く神社名、何処にある?どんな鏡?いつ頃の物?・・・と、未知との遭遇にワクワク・ドキドキ、調べてみました。文献を探している内に、少しずつ絡まった糸がほぐれ始めてきました。神社は和歌山県にあること、この鏡は国宝の「人物画像鏡」であること、紀伊名所図会に模写されていることなどが分かってきました。調べを続けていると徐々に、遙か古からの脈絡、承継が僅かに見えてきたような気がしました。
 佐助邸の襖絵には「好文作」と署名、落款がおされていますが、多くの仲間が手を尽くして調べるのですが、「好文さん」を見付けることができないのです。描かれている別の襖絵は、あの歌川広重の近江八景によく似ていたり、金粉を使った素晴らしい作ばかりです。京都からみえた襖絵師さんのお話では、「これだけ描ける人は凄い人ですよ」とのことでしたが・・・。現在も様々な方面から調べていますが、未だ判明しておりません。もう少しこの解明作業を継続していきたいと思っています。

 今年は、佐助邸洋館が造られてから100周年になります。そんな折り、思いがけない発見や気づきがあったことに、不思議な巡り合わせを感じます。 
 秋には記念の展示会も予定されており、現在準備中です。これからもご来館いただいた皆様にそっと寄り添いながら、少しでも喜ばれるご案内が出来るよう心掛けていきたいと思います。(参考資料:日本の国宝、紀伊名所図会)

☆佐助邸には火・木・土、10時から15時30分まで常駐し、ご案内させていただいております。お気軽にお声かけください。

CIMG4954 隅田八幡神社人物画像鏡 3−2T
地袋に描かれた絵 人物画像鏡(写真,東京国立博物館)
CIMG3831襖、流れ CIMG2217修復された襖
左下には署名、落款 堅田の浮御堂(右端)

注1:こちらからご覧ください
注2:国宝人物画像鏡は東京国立博物館に寄託されている(日本の国宝参照)

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