旧豊田佐助邸 文化のみち二葉館 徳川園 依頼ガイド
東区文化のみちマップ
5月 15

 新緑に誘われ、東区の東北部、矢田川南岸にある長母寺を訪ねました。長母寺は平安末期、豪族山田次郎重忠が母の菩提の為に創建、その後、無住国師によって再興されました。
 当寺は尾張万歳(注1)の発祥の地と言われています。また無住国師入廷の折りの伝説、「ひのきの芽の寄生木(注2)」があります。山門(注3)を潜り、本堂(注:3)に向かう石畳を進むと左手に荘厳な弘法大師像が飛び込んできました。その手前の木立の中に「無空々々碑」の歌碑が木漏れ日の下に現れました。これは尾張藩士「石井垂穂」の歌碑だそうです。横には碑陰と思われる文字が刻まれていました。「もし娑婆の功徳を 閻魔問ふならば はか糞肥えにしたと答えむ 垂穂」だそうですが、長い風雪を経て「垂穂」の文字しか判読出来ませんでした。この歌碑は当時の位置とは異なっているとのことでしたが、そこにあるのは、それぞれ大変な歴史、伝説のあるものばかりでした。(お庫裏様のお話・当会マニュアル参照)

P5112507国師入廷地碑 P5112482歌碑
  無住国師入廷地碑      無空無空碑
P5112488弘法大師 P5112510本堂 P5112495宿り木
  弘法大師像     本堂  ツバキの木に宿り木

   注1:尾張万歳は無住国師が法華経を分かり易い言葉にして歌えるようにしたもの
   注2:寄生木は、ツバキ(現在のツバキの木は原木ではない)、サザンカなどに着いている
   注3:山門・本堂・庫裏は登録有形文化財

5月 4

 P4282365ツツジ花今、佐助邸の庭は鮮やかな新緑が萌え、薫風が来邸される方々を温かく出迎えてくれます。主庭・中庭ではヒラドツツジが緑をバックに、年に一度の晴れ舞台を演出しています。邸内のどこを移動されても、通り抜ける爽やかな風が春真っ盛りを感じさせてくれます。
 建造(大正12年建築)当時からずっと続いているであろう静寂との出会いです。前庭ではキリシマツツジが間もなく訪れる晴れの日の準備を始めています。庭内は、いつの間に舞い込んだのか、タンポポやハルジオンなど様々な草花が、我が世を謳歌しています。ゆったりと、のどかな自然と向き合う時間をお楽しみください。

 

P4282370新緑 P4282363つつじ
     芽吹き始めた木々        春の装い中
4月 25

 東区上竪杉町、個人宅に植えられていたオガタマノキが3月に名古屋市政資料館北側の植え込みの中に移設されました。この木は樹齢150年から200年と云われ、昭和48年10月に市指定の天然記念物に指定されていたものです。この移設にあたって「教育委員会文化財保護室」により標識も設置されました。

  かつて樹高7m、枝張り5mもあったそうですが、移設のため枝は切り落とされ、養生のため布に覆われ痛々しい姿です。何年か先、元の立派な姿に戻るのを待つばかりです。

DSC00614 DSC_04281標識切抜き

オガタマノキは榊の自生しない地域を中心に神前に供える玉串として古くから代用されたり、神木として神社などに植栽されていることがあります。

CIMG9169オガタマの花 CIMG9171きりぬき3

  かつて上竪杉町に植えられていたオガタマノキの花です。モクレン科の常緑樹で花は上品な香りがします。開花は3月中旬から下旬といわれていますが、この写真は2009年2月28日に撮影したものです。
★参考 ウキペディア

4月 19

 文化のみち二葉館に入ると可憐な馬酔木(あせび)の花が出迎えてくれます。その庭では可愛い三色桃(注1)が控えめに花開き、彩りを添えています。春風に乗って日ごとに可愛い花々を増やしながら、新緑との競演を楽しんでいるようです。東日本大震災から一年、その被災地に沢山の桜の苗が植えられたとも報じられています。力強く生長する木々に将来を託しつつ、皆が注目する中、この東北地方にも間もなく春が訪れることでしょう。
 春宵一刻、値千金の時季、しばし春を楽しんで下さい。
★当会では、毎週「火・木・土」の11時20分と13時20分から、二葉館の定時ガイドを行っています。

P4182218新緑と桃 P4182202玄関桃
二葉館を新緑と可憐な三色桃が彩りを添えて     三色桃と二葉館の玄関
P4182198馬酔木 P4182208三色桃 P4092136ピンク P4182203白一輪
満開の馬酔木がお出迎え  1本に複数の花色 咲き競うピンクの花  やっと花開いた白
花・切り取り まだら切り取り ピンク切り取り 白切り取り2

注1:源の三色桃は木曽川の関西電力の須原発電所に植えられています。1922年(大正11年)
   に3本の苗を大同電力の社員が、発電所の水車と共にミュンヘンから持ち帰り植樹したもの
   です。二葉館の三色桃は須原発電所内の種から育てたものです。

4月 11

 今回は中部、短歌会の礎を築いた歌人、浅野梨郷(りきょう)氏の歌碑を紹介します。
 場所は、徳川園里山のゾーン(四睡庵の西側)で、小径を行く人々に語りかけるかのようにゆったりと立っています。
 「宇つりつつ 静かに色をかへてゆく 登与波多雲(注1)の 空のたなび起」梨郷
 浅野梨郷(本名 利郷(としさと))氏は、明治22年名古屋市に生まれ、東京外国語学校在学中に伊藤左千夫に師事、斎藤茂吉らと共に勉強しました。卒業後は鉄道院などに勤務した後、昭和10年名古屋市に勤務し昭和16年52才で退職しました。昭和31年4月中部日本歌人会を創立し代表委員となり、中部の短歌会の礎を築きました。教育、学術、文化にも広く功績を残され叙勲を受けられました。その間雑誌「武都紀(むつき)」、歌集「豊旗雲」や随筆集「糸ぐるま」などを刊行されています。(冊子「東区文化のみちあれこれ(注2)」参照)

梨郷・切り取り P4072134
歌碑除幕式の日に(冊子「東区あれこれ」より転載)     満開のサンシュユ
P4072127 P4072129
  変体仮名で書かれた碑 サンシュユの木漏れ日が歌碑に注ぐ

注1:登与波多雲・豊旗雲(とよはたぐも)は万葉集(巻1の15番)にも詠われていますが、
   「トヨは美称」旗のようになびいている美しい雲(広辞苑)のこと
 「海神(わだつみ)の 豊旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 さやけくありこそ」
                             万葉集・・(中大兄皇子)
注2:「東区文化のみちあれこれ」は当会発行の小冊子で「東区東片端・正文館」「徳川美術館」
   で 販売しております。東区の魅力、偉人・賢人紹介など・・を掲載しております。
   (現在、7,8,9号を販売しています)

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