夏休みも終わりに近づき、間もなく校庭も元気な声に包まれるでしょう。
今回は、徳川の時代からの木といわれる「旭丘小学校のセンダン」を訪ねてみました。
旭丘小学校の歴史を辿ってみますと、明治5年1月に第三義校が誕生し、その後、名称変更を重ね昭和22年に旭丘小学校となった由緒ある学校のようです。この辺りは、尾張藩徳川時代にそのルーツを持つ、徳川園や徳川美術館、蓬左文庫、そして光友公の「胞衣塚(えなづか)注1」といわれる貴重な遺産が多く残されている場所でもあるのです。元は二代藩主光友公のご隠居所(現、徳川園)のあった一画ではないかと興味は一気に高まりました。センダンの木からも古き時代が偲ばれるような気がしましたが、丁度在席されていた教頭先生から、運良くお話を伺うことが出来ました。
この夏休みに剪定をしたばかりのセンダンで、東区の名木に載っているような、大空に枝を広げる大樹に出会うことは出来ませんでしたが、貴重なお話を聞かせていただきました。永い年月、風雪に耐え、校内の一角で心地よい木陰を提供し、数々の出来事を見守ってきたセンダンの木ですが、ちょっと悲しい現実がありました。それは、今年夏休みに行われた剪定の際、幹に大きな空洞のあることが分かったのです。保存のため手厚い処置が施されたそうですが、「大切な木ですからね」の言葉の端から、この木に寄せられる優しさがひしひしと伝わってきました。
思いは必ずや通じ、来春は見事な花を咲かせ、子供たちの歓声を頭上で聞くことでしょう。植物にも天寿がありますが、卒業生に校庭のマスコットとしていつまでも残って欲しいと、ちょっとしんみり校門を後にしました。(参考資料 旭丘小学校50年史、ひがし見聞録、東区の名木)
★当会では、徳川園において毎週金曜日13時から15時30分(受付は15時)まで、定時ガイドを行っております。お気軽にお声かけ下さい。
旭丘小学校(校庭から撮) | 東区の名木より転載 |
静かに見守るセンダン | 手厚く保護されて・・ |
注1:光友公の生まれたときの膜や胎盤を収めたといわれている。こちらからもご覧下さい
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